守破離 SHUHARI シュハリ一、兵法書研究二、武術稀少書三、武術系古本四、ご注文・お問合せ五、当サイトについて

新陰流兵法流祖であり、日本の剣術発展に最も影響を与えたといっても過言ではない剣聖・上泉伊勢守。彼がのこしたこの兵法書には、初心から上手まで、心に刻むべき兵法の大切な心構えが詳しく記されています。第一から第三十九まで。年月日不記。原文をこの色で併記します)

悒貫書

[ユフクァンショ]イキトオリツラヌクトヨメリ

    上泉伊勢守

 それ兵法と勝負は、敵と我との心気の二つに究する事なり。この心と云うは、いかなる物ぞというに、影形も無きものなり。形なきゆえに消え失せず。然れば、生もなく、また死もなし。これを金剛の正躰と云う。無相にして有なるの故に、古来行き留まる事なく、往く所さらになし。色相の生滅にあずかるによって無常と云うなり。これを憐れみ哀しみ定離(必ず別れる定め)と云うなり。心に変わりなき所を尋ねよと云う事なり。何物か色相を去りて敵とならむや。心は無始無終にして往く所さらに無し。

 夫兵法と勝負ハ、敵と我との心気の二ツに究する事也。此心と云ハ、いか成ル物そといふに、かけ形もなきもの也。形なきゆえに消うせす。然れは、生もなく、又死もなし。是を金剛の正躰と云。無相にして有なるの故に、古来行留事なく、往所さらになし。色相の生滅にあつかるによって無常と云也。是をあわれミかなしみ定離と云也。心にかわりなき所を尋よと云事也。何物か色相を去て敵とならむや。心ハ無始無終にして往ところさらになし。

 

 第一 兵法心得之事

 月は隈無く照らせども、一重の雲に隔てられ、千草の露に宿る光も、照灯を消すが如し。心は明らかに正しと云えども、悪気を迷わし、出心をあらわさず。
 それ兵法第一の心持ちと云うは、まず疑わしき心をやめ、悪しきことを仕出しても、一途にその志しを立てる事第一の心得なり。身の繕い離れず、あるいは見物の人の思惑を察し、恥ずかわしき心根少しにても有るうちは、性量正しからず。人を助け遣わすにあらず。進退ここにきわまり一生一度のように立つべき為なれば、さのみ(それほど)世間に能く見られたき事にあらず。
  たとえば、仕なしをやわらかに上手と人に見らるるとも、毛頭も心の奥に正しからざる所あらば、心の問わはいかにこたへん。たとえ仕なしは見苦しく初心のように見ゆるとも、火炎のうちに飛び入り、盤石の下に敷かれても滅せぬ心こそ心と頼む主なれ。
  品々の習い知りて、勝負の是非をわくるというも、心の正しからざるうちは至極の重宝伝えても一つの用にも立つべからず。されば、右習いは一心の正しき所に有ると知るべし。

 第一 兵法心得之事

 月はくまなくてらせとも、一重の雲にへたてられ、千草の露に宿る光も、しやう灯をけすかことし。心は明らかに正と云へとも、悪気をまよわし、出心をあらわさす。夫兵法第一の心持と云は、まつうたかわしき心をやめ、あしきことを仕出しても、一図に其心指をたつる事第一の心得也。身のつくろいはなれす、或ハ見物の人の思わくを察、はつかわしき心根少にても有内は、せうれうたゝしからす。人をたすけ遣わすにあらす。進たいこゝにきわまり一生一度のやうに可立ためなれは、さのミ世間に能見られ度事にあらす。たとへは、仕なしをやわらかに上手と人に見らるゝとも、毛頭も心の奥にたたしからさる所あらは、こゝろのとわはいかにこたへん。たとへ仕なしハ見くるしく初心のやうにみゆるとも、火ゑんのうちに飛入、はんしゃくの下にしかれてもめつせぬこゝろこそ心と頼むあるしなれ。しなしなのならひしりて、せうふの是非をわくるといふも、心のたゝしからさるうちハ至極のてうほう伝えても一つの用にもたつへからす。されハ、右習は一心の正しき所に有としるへし。

 

 第二 指南うくる心得の事

 習いを用るには、一心正しくとも誠の無きうちは用得る事成るべからず。一つにても、真実まことをあらわし、よくそれに成りたら(ね)ば、勝つと云う事なし。ただ大かたの合点にては なかなか成るべき事にあらず。
  何事を聞きても当座は合点したるようなれども、誠の無きゆえに また重ねては その所抜けるなり。惣別(総じて)指南を請くる道は、合点はたとえしても 心にとくと落ちぬうちは、幾度も聞き返す事第一なり。はやく請けては面白き理の有る所をも聞き残す事多きものなり。
 さてまた 少しにても心付き(気付き・思い付き)ては、不断はその思惑を遣わぬが第一なり。 心のその工夫に乗りたる時 我より前方(未熟)成る打太刀にてあるいは三五(十五)程遣いて能く心を養い、また強くするときは 工夫の外にて遣う心持ち肝要なり。
  心付きたる所いつも乗らぬものなり。 それを無理に強くするに依りて、ようよう(次第に)心付きたる所も皆々跡なく消えるなり。 工夫はその心をやしなう稽古 根本なり。

 第二 指南うくる心得の事

 習を用るには、一心たゝしくとも誠のなき内は用得る事不可成。一にても、しんしつ寔をあらハし、よくそれに成たらハ、勝つと云事なし。唯大かたのかてんにてハ中々可成事にあらす。何事を聞ても当座はかてんしたるやうなれとも、誠のなきゆへに又重てハ其ところぬける也。惣別指南を請る道ハ、合点はたとへしても心にとくと落ぬ内は、幾度も聞返す事第一也。はやく請ては面白き理の有所をも聞残す事おほき物也。扨又少にても、心つきては、不断は其おもわくを遣わぬか第一也。心のそのくふうにのりたる時、我より前かた成打太刀にて、或ハ三五程遣て能心をやしなひ、またつよくするときハ、くふうの外にて遣心持ちかんやう也。心つきたる所いつものらぬ物也。それをむりにつよくするに依て、やうやう心つきたる所も皆々跡なく消る也。工夫は其心をやしなウ稽古根本也。

 

 第三 降り下がりて稽古すべき事

 稽古は下(の)段より、次第しだいに組み上げたる兵法ならでは、正しき事有るべからず。初めより上段へ跳び越えて遣う兵法は悪し。城の無きところへ ほうり上げたる様成るものなり。下段に所作 整うらぬ故に、仕なし薄く軽く見ゆるものなり。左様の兵法は、また下段へ降り下がりて稽古するべし。これは第一の心得なり。

 第三 おりさかりて稽古すへき事

 けいこは下段より、次第しだいにくミあけたる兵法ならてハ、正しき事不可有。初より上段へとひこゑて遣兵法はあし。しろのなきところへほをり上ケたる様成物也、下段にしよさ、とゝのふらぬゆへに、しなしうすくかるく見ゆる物也。左様の兵法ハ、又下段へおりさかりてけいこするへし。是は第一の心得也。

 

 第四 下作りの事 付り 不断の心掛けの事

 兵法は、寝ても覚めても、物を見ても、つまづきても、我がする業に、何に付きても兵法に引っかけ工夫怠らぬば 自然に能き位にゆき立つものなり。思いよらぬ時などは、出心正しき者もふと驚く事も有るものなり。左様の事を心にて深く誡め、我が一心の弱き事を強く恥しめてしばしも忘れぬほどなれば、次第に心の驚動は無きものなり。物に驚く心は 気の上へのぼる故なり。左様の時は心を取り返す様に、毎事に覚悟すべし。この心を取り納めたる所、根本の神妙剣 自ずから具わる位なり。又あらためてする下作りはまことの下作に有らず。思いよらぬ時にても、物々にしたがって心を納め帰す所 下作の根本なり。これ不断の心掛けに有るべき事なり。毛頭油断あるべからず。

 第四 下つくりの事付り不断心掛之事

 兵法は、ねてもさめても、物をミても、つまつきても、我かするわさに、何に付ても兵法に引かけ工夫をこたらぬハしせんに能位にゆき立物也。思ひよらぬ時なとは、出心正しき者も、ふとおとろく事も有もの也、さやうの事を心にて、ふかくいましめ、我一心のよわき事をつよくはぢしめて、しはしも忘れぬほとなれは、次第に心のきやうどうはなき物也、物におとろく心ハ気の上へのほる故也。左様の時ハ心を取かへす様に、毎事に覚悟すへし。此心を取納めたる所、根本の神妙剣をのつからそなわる位也。又あらためてする下つくりハ、寔の下作に不有。思ひよらぬ時にても、物々にしたかつて心を納帰す所下作の根本也。是不断の心掛に可有事也。毛頭不可有油断。

 

 第五 真の道と云う事

 たとえば太刀かたな拵 結構にて 切れは不吟味なること、また柄鞘(つかさや)見苦しくとも、刃(やいば)能き刀を差し、鞍はげたりとも、肥えたる馬に乗ること真の道なり。されば稽古にも我が差す刀の吟味をして、その重さ我が手にかなう程に稽古然るべき候。凡(およそ)品軽きとて種々細かなる働きをして少しのかすりも当たりたると思い、僅か(取るに足らない)の所に吟味をかけ、用にたつ勝口 不吟味なるは、心掛けの薄き故なり。尤(もっとも・さにあらず)勝口を合点し、あるいはこの様なる打ちは しない(撓)は軽きゆえに打たるる、太刀にては自由は成らぬ物なりと云う所を分別しては、いか程細かなる打ちにも吟味をすべき事なり。真の心掛け有る人は、たとえ器用は無くとも、兵法にもとづく事早かるべし。その人の真を見届ずしては、ゆめゆめ指南有るべからず。

 第五 真の道と云事

 仮ハ太刀かたな拵けつかうにて切れは不吟味成事、又つかさや見くるしく共、やいは能き刀をさし、くらはけたりとも、こゑたる馬にのる事真道也。されハ稽古にも我さす刀の吟味をして、其おもさ、我手にかなふ程にけいこ可然候。凡しなかるきとて種々こまかなるはたらきをして、少のかすりもあたりたるとおもひ、わつかの所に吟味をかけ、用にたつ勝口不吟味なるハ、心掛のうすきゆへ也。尤勝口を合点し、或は此様成打ハしなへハかるきゆへに、うたるゝ太刀にてハ自由ハ不成物なりと云所を分別しては、いかほとこまかなる打にも吟味をすへき事也。真の心掛有人ハ、仮きやうハなくとも、兵法にもとつく事はやかるへし。其人の真を見届すしてハ、努々指南不可有。

 

 第六 心つきこれ無き以前の稽古事

 初心の心付き無き以前は、工夫をせんと思いても、本の無き故 案ずる事無きものなり。先ずまず初めは正気正しき、動かぬ所を深く思い入りたる工夫第一なり。身をはなれたる工夫は、初心のうちは用に立たぬものなり。たとえ、理は合点しても、所作調うらぬ故に勝口正しからず、まず所作と心と和合する様に遣う心持ち第一なり。

 第六 心つき無之以前の稽古事

 初心の心つきなきいせんハ、工夫をせんとおもひても、本の無故案する事なき物也。先々初ハ正気たゝしき、うこかぬ所をふかく思ひ入りたる工夫第一也。身をはなれたる工夫ハ、初心の内は用に不立もの也。仮、理ハ合点しても、しよさ調ふらぬ故に勝口たゝしからす、先しよさと心と和合する様に遣心持第一也。

 

 第七 おしえの分別の事

 教える道は前後を能く合点すべき事なり。弟子は格別なり。その外は相弟子(同門)を限り、むざと(軽率に)指南有るべからざる事なり。あるいは其の者の兵法 悪しきも思えども、嘲って(あざけって)上がわにて習う者も有るものなり。されば兵法は我が心に付きたる所をば、必ず(けっして)人に聞かせぬものなり。第一のたしなみには、人の兵法には兎角の批判はせぬやうに心得べき事なり。たとえ人は悪しき事をするとも、一段見事なりと褒めたる所には人の嘲りをもうけず、我が心をも知らせねば善悪のわかちこれ無し。あまり人には兵法を知らせたき事にこれ無し。そのうちにも真有る人の深く執心ならば、能くよく見届け指南有るべし。

 第七 おしゑの分別の事

 おしゑる道ハ前後を能合点すへき事也。弟子はかく別也。其外は相弟子をかきり、むさと指南不可有事也。或ハ其者の兵法も悪敷も思へとも、あさけって上かわにてなろふ物も有物也。されハ兵法ハ我心に付たる所をは、必人に聞セぬ物也。第一のたしなみには、人の兵法には兎角のひはんわせぬやうに心得へき事也。仮人ハ悪敷事をする共、一段見事なりと、ほめたる所には人のあさけりをもうけす、我心をもしらせねは、善悪のわかち無之、あまり人には兵法をしらせ度事に無之、その内にも真有人のふかく執心ならは、能々見届、指南可有。

 

 第八 兵法秘すべき事

 我が兵法の仕覚えたる所をば一子にも その者の心持ちを見届けざる以前は、相伝有るべからず。まして兄弟を限り 何程親しき仲なりとも、奥はゆめゆめ知らせぬところ兵法の極意なり。何時何者が我が敵と成らんを知らず、然る時は心の奥を打ちあけて相伝えたらば、我が重宝は人の宝となるべき事なれば、かたく心得有るべき事なり。太躰(だいたい・主要)の教えには、一つにても能き所をば人に知らせぬところ第一なり。惣別(総じて)人には、まよわする分別、兵法の根本教えば外に敵を求むると知るべし。

 第八 兵法秘すへき事

 我兵法の仕覚たる所をハ一子にも其者の心持を見届さる以前ハ、相伝不可有。まして兄弟をかきり何程したしき中成共、奥ハ努々しらせぬところ兵法の極意也。何時何者か我敵とならんをしらす、然時は心のおくを打あけて相つたへたらハ、我かてうほうハ人の宝と可成事なれハ、かたく心得可有事也。太躰の教には、一つにても能所をは人にしらせぬところ第一也。惣別人には、まよわする分別、兵法の根本おしへハ外に敵をもとむるしるへし。

 

 第九 初心の稽古の事

 初めは心と気と所作と対応する様に稽古する事第一なり。心ばかり至りても、する業整うらぬによりて、仕掛けのよき時は、有識なる負け多きものなり。その時に心疑い出来て、能きも悪しやうに見かぎり、種々迷う事なり。心の位よりの所作悪しくば、心持ちを置き、降り下がりて所作勝ちをして、又折々は心持ちに取り直しみる稽古よし。病気の出ずるは心の浮き立つ故なり。心指し(志し)確かなれば、病気も自ずから去るなり。

 第九 初心の稽古の事

 はしめは心と気としよさとたいようする様に稽古する事第一也。心斗至りても、するわさとゝのふらぬによりて、しかけのよき時は、うしきなるまけおゝきもの也。その時に心うたかひ出来て、能も悪やうに見かきり、種々まよふ事也。心の位よりのしよさあしくハ、心持をおき、おりさかりてしよさかちをして、又折々は心持に取りなをしみる稽古吉。病気のいつるは心のうきたつゆへ也。心指たしかなれは、病気もをのつからさる也。

 

 第十 初心の時は詮議にて迷う心持ち

 初心の稽古は、心持ちの詮議(検討・吟味)をして迷うものなり。ひとり心の進むまでは、所作の稽古よし。いまだ兵 前方(未熟)なるうちは、我が心の消えぬ様にとばかり稽古すべし。とりわけ心に疑いの無き様に、一筋する事専一なり。大かた初めは、我が心にて迷うものなり。少しにても悪道に心入りては、引き返す事なり難きものなり。然る故に上手の指南を請けたき事なり。
 われと我か 心の月を くもらして
   よその光を もとめぬるかな
 心付きたる所は、不断は稽古有るべからず。また口にて遣う所の理を云う上は心指し薄くなるものなり。常には、余の事(外のこと)をして、思う所は取り出さぬ所第一なり。

 第十 初心の時はせんきにてまよう心持

 初心のけいこは、心持のせんきをしてまよふ物也。ひとり心のすすむまでは、しよさのけいこよし。いまた兵前かた成内ハ、我心の消へぬ様にと斗けいこすへし。取分心にうたかひの無様に、一すしする事専一なり。大かたはしめは、わかこゝろにてまよふ物也。少みにても悪道に心いりてハ、引かへす事成かたきもの也。然る故に上手のしなんを請たき事也。
 われと我か 心の月を くもらして
   よその光を もとめぬる哉
 心つきたる所ハ、不断は稽古不可有。又口にて遣ふ所の理を云えハ、心指うすく成物也。常には、よの事をして、思ふ所は取出ぬ所第一也。

 

 第十一 一ツに究まる指南の事

 上手の指南を請くるに、初心のうちは迷うものなり。その仔細は、胸中広き故に、前後する様に聞こゆるなり。然れども、一ツの所より云おる一言は、乱れても又一ツに究まるなり。千手観音は心の置きどころにて千の手皆用に立つと云うもこの心なり。

 第十一 一ツに究まる指南の事

 上手のしなんをうくるに、初心の内ハまよふ物也。其子細は、きやう中ひろき故に、前後する様に聞ゆるなり。然れとも、一ツの所より云をる一言は、みたれても又一ツに究まるなり。千手観音ハ心の置ところにて千の手皆用に立と云も此心なり。

 

 第十二 初心のうち悪所作 并 身癖の事

 打のなまる(鈍る)事
 足をひきずる事
 我と敵と見合う事
 所作急ぐ事
 手の内くつろぐ事
 敵の心を疑う事
 切る拍子の事
 あやぶむ事
 腰屈む事
 肩をさす事
 身に力を入るる事
 内繕う事

 右十二ヶ条いずれも悪き所作也、能くよく吟味有るべき事なり。初心のうちに付きたる癖は、後まで直らぬものなり。第一心のかたまらぬ様に指南これ有るべし。

 第十二 初心の内悪しよさ并身くせの事

 打のなまる事
 足をひきつる事
 我と敵と見合事
 しよさいそく事
 手の内くつろく事
 敵の心をうたかふ事
 切拍子の事
 あやぶむ事
 こしかゝむ事
 かたをさす事
 身にちからを入事
 内つくろふ事
 右十二ヶ条何も悪きしよさ也、能々吟味可有事也。初心の内につきたるくせハ、後まてなをらぬ物也。第一心のかたまらぬ様に指南可有之。

 

 第十三 同(初心のうち)能き所作の事

 打ちのはなるる事
 足遣い軽き事
 所作の悠なる事
 内大きなる事
 心指し一筋なる事
 内疑い無き事
 身に力み無き事
 つっ立ちたる身位事
 肩を落す事
 打つ拍子・切る拍子の無き事
 身能く遣う事
 心のかたまらぬ事
 右十二ヶ条いずれも良き所作なり。心固まる故に所作自ずから固くなるなり。万事の癖は、ただ一ツの調うらぬ故なり。

 第十三 同能しよさの事

 打のはなるゝ事
 足遣かるき事
 しよさのゆふ成事
 内大き成事
 心指一筋成事
 内うたかひ無事
 身にりきミ無事
 つ立たる身位事
 かたを落す事
 打拍子・切拍子の無事
 身能遣事
 心のかたまらぬ事
 右十二ヶ条何も吉しよさ也。心かたまるゆへに、しよさをのつからかたく成也。万事のくせハ、たゝ一ツのととのふらぬ故也。

 

 第十四 所作を移す心持ちの事

 初心の者にても其の人によりて、少しづつは能き所有るものなり。あるいは打込みにても、付きにても、切合いにても、その少し能き所、(上手より)我が所作に移す分別なり。これ直しを請くるよりは、少しにても心付きては稽古になるものなり。所作を移さむと思わば、先ずその(上手の)志しを察する味わい良し。扨(そのうえで)手の持ち様、足の踏み様はいか程、広身の掛かりはいか程なりとも、少しの所にも能く心付きて移せば、移らずと云う事なし。其の者の恰好によりて、智るものなり。

 第十四 しよさを移心持の事

 初心の者にても其人によりて、少つゝは能所有もの也。或ハ打込にても、付にても、切合にても、その少し能所、我か諸作に移す分別也。是なをしをうくるよりハ、すこしにても心つきては稽古に成もの也。しよさを移さむと思わハ、先其心指を察する味ひ吉。扨手の持やう、足のふみ様は何ほと、広身の掛りハ何程成とも、少の所にも能心付て移せは、うつらすと云事なし。其者のかつかうによりて、智者也。

 

 第十五 心指しを移す心持ちの事

 これは上手に習う心持ちなり。あるいは(もしかすると)秘して一言にも出さぬものにて、たとい(たとえて・想定して)落とす心持ちなり。先ず 打太刀をして我を立てて、その仕掛けにてはその所が当たるなど云うて張り合うて、また能き所は真実に鑑し、その所を我が物にする心得第一なり。執心 念比(ねんごろ・親密)なれば、けっく(かえって)相伝せぬものなり。とい(問い)落とす分別肝要なり。これは、所作の稽古至り、かくて詮議(検討すべきところ)は心持ちならでは(以外には)無きと思う時の事なり。兵法前方(未熟)なるうちは、斯様の事聞きても、合点ゆかぬによりて用に足らぬものなり。

 第十五 心指を移心持の事

 是は上手になろう心持也。或ハ秘して一言にも出さぬものにて、たとひ落す心持也。先うち太刀をして我をたてゝ、その仕掛にてハ、そのところか当るなと云て、はりやうて、亦能所はしんしつにかんし、其所を我物にする心得第一也。しうしん念比なれハ、けつく相伝せぬ物也。とひ落す分別かんやう也。是は、しよさのけいこ至、かくてせんきハ心持ならては無と思ふ時の事也。兵法前方成内ハ、か様の事聞ても、合点ゆかぬによりて用にたらぬ者也。

 

 第十六 心指しをかくす心持ちの事

 初心のうちにても、我れ思う所は人に知らせぬ様にして、人の心を引きて見れば、自ずから兵法上がる。悪しき兵法にても、我が心に引き請けて心に持つ良し。とかく人の心を知る分別良し。
 よきも友 あしきも友と 鏡なる
    見るに心の 月をみかけは(磨けば)
 我が思わくはゆめゆめ人に云う事なかれ。これ第一の心得なり。

 第十六 心指をかくす心持の事

 初心の内にても、我おもふ所ハ人にしらせぬ様にして、人の心を引て見れハ、をのつから兵法あかる。悪き兵法にても、我心に引請て心持吉。とかく人の心を知る分別吉。
 よきも友 あしきも友と 鏡なる
    見るに心の 月をみかけは
 我か思わくは努々人に云事なかれ。是第一の心得也。

 

 第十七 吟味は細かなる良し。所作勝口は大きなるがよし。

 第十七 吟味は細成吉。しよさ勝口ハ大きなるかよし。

 

 第十八 遣い所五ツの心持ちの事

 身と手と太刀と心と気と遣う兵法に有り、所作にしては手になれば打ちなまる、太刀になれば拍子出くる。気になればうわずる。身になれば重し。然れども身になる所作は五ツのうちにては ましなり。心を能く遣う兵法、自ずから所作自由なり。ただ身ばかり遣う分にては固まるものなり。一ツの所能くその理叶へば、五ツ所作 残らず調うるなり。

 第十八 遣所五ツの心持の事

 身と手と太刀と心と気と遣兵法有、諸作にしてハ手になれは打なまる、太刀になれは拍子出くる。気になれハ、うわつる。身になれハ、おもし。然とも身に成しよさは、五ツの内にては、ましなり、心を能遣兵法、おのつから、しよさぢゆふ也。たゝ身はかり遣分にてハかたまる物也。一ツの所能その理叶へハ、五ツしよさ不残調ふる也。

 

 第十九 面太刀遣う心持ちの事 但 教え留むなり

 先ず撓(しない)に取りつかぬ以前に敵の志しを見届て、さて取りつきて、いかにも素直に所作を急がず、成るほど(なるべく)位を取りて心を高上に持ち、引き離したる位にて車に構え、身に少しも固まり無き様に、一刀両段と打ち込むなり。位を遣う時は、勝口にかかわらず、所作にもあまり序、破、急の無き様に身をろくに(陸に・楽にして)遣うなり。位を能く遣う事は成り難きものなり。これ指南の時、手本に遣いて見せるに良し。勝口を専にぬけさせまじきと遣う時は、所作見苦しきものなり。仕合おもての遣い様は小太刀同前なり。勝口一ツに遣う心持ち第一なり。常には所作せわしく、かしこく(要領良く)見ゆるは悪ろし。ただ素直に、ゆるゆると位ばかり遣う心持ち良し。

 第十九 面太刀遣心持の事 但教留也

 先、しなへに取つかぬ以前に敵の心指を見届て、扨取つきて、いかにもすなをに、しよさをいそかす、成ほと位を取て、心を高上に持、引はなしたる位にて、車にかまへ、身に少もかたまりなきやうに、一刀両段と打こむ也。位を遣時は、勝口にかゝわらす、諸作にも、あまりしよ、は、きうの無様に身をろくに遣也。位を能遣事ハ成かたきもの也。是指南の時、手本に遣て見するに吉。勝口をせんに、ぬけさせましきと遣時は、諸作みぐるしき物也。しあひおもての遣様ハ、小太刀同前也。かち口一ツに遣心持第一也。常には、諸作せわしく、かしこくみゆるハ悪し。たゝすなをに、ゆるゆると位斗遣心持吉。

 

 第二十 付と云うと、置と云うとの替りめの事

付と云うは、敵の太刀に我太刀を寄せ懸ける位なり。この心持ちは、素人などには苦しからねども、敵の上手にあいては付くる所が敵の先に成るなり。然る故、置と云う事有り。たとえば朝顔の花などに露を置きたる様に、少しももたれず、我を立てず、敵の志しに付けたる位なり。もたれぬによりて敵の働きことごとく我が勝ちになるなり。斯様の事に無理に似せらるる物にてはなし。独り心つきたる味にてならでは知り難し。強く思うも着き(居着き)になれば、目録にても我が師にせんと思うは悪ろし。我が心を志とし、書を外にして用い味わい良し。されば心の 志とは成れ 心を師とせざれと云えり。

 第二十 付と云と、置と云との替りめの事

付ルと云ハ、敵の太刀に我太刀をよせかける位也。此心持は、しろふとなとには、くるしからね共、敵の上手に相ては、付る所か敵の先に成也。然るゆへ、置と云事有。仮ハ朝かほの花なとに、露をおきたる様に、すこしももたれす、我をたてす、敵の志に付たる位也。もたれぬによりて、敵のはたらきことことく、我が勝成也。か様の事に、むりに、にせらるゝ物にてはなし。独り心つきたる味にてならては、しりかたし。つよく思ふも、着になれは、目録にても、我がしにせんと思ふハわろし。我心を志とし、書を外にして用味わひ吉。されハ心の志とハなれ、心を師とせされと云へり。

 

 第二十一 やむると云うと、捨と云う替りの事

 やむると云うは、先立ちたる心持ちを引き離したる位なり。捨と云うは、志は敵に離さず、所作を捨てて勝つ心持ちなり。右いずれも究まる時は替わる事は無し。やむると云うも、能く敵を知らずしては成るべからず。仕なしにて分けて遣わんとも、又ひとつに遣わんも心次第なり。
 ありのみと なしといふ字は かわれとも
    くふ(喰う)に二つの あちわひ(味わい)はなし
  ※ありのみ=有りの実=梨の忌詞  なし=梨
 これも初心の者聞きては、品替われば、格別の様に合点するなり。これは所作を見る故なり。上手は志しをみる故、何事しても二ツの味わいの無き所を合点するなり。右善悪無二。

 第二十一 やむると云と、捨と云替りの事

 やむると云は、先たちたる心持を引はなしたる位也。捨と云ハ、志ハ敵にはなさす、諸作を捨て勝心持也。右何も究まる時は替事ハなし。やむると云も、能敵をしらすしてハなるへからす。しなしにて分けてつかわん共、又ひとつに遣わんも心次第也。
 ありのミと なしといふ字ハ かわれとも
    くふに二つの あちわひハなし
 是も初心の者聞てハ、しなかわれハ、かくへつの様に合点する也。是は諸作を見る故也。上手は志をみるゆへ、何事しても二ツの味わひのなき所を合点するなり。右善悪無二。

 

 第二十二 我心のすすまぬ時の稽古の事

 心のすすまぬ時は、我独りの稽古よし。何程打ちても、うしろ手にてかかり、打たれて敵の心根を見知るべし。見たる時は、光一ツにする心持ち良し。すすまぬ時にても、敵にか、我にか、一筋かたつきて稽古する分別なり。

 第二十二 我心のすゝまぬ時の稽古の事

 心のすゝまぬ時は、我独の稽古よし。何程打ても、うしろ手にてかゝり、うたれて敵の心根を可見知。ミたる時は、光一ツにする心持吉。すゝまぬ時にても、敵にか、我にか、一すしかたつきて稽古する分別也。

 

 第二十三 足遣いの事

 足遣いは、毬(まり)に喩えたるものなり。少しも居つかず、軽き位良し。さりながら、上づりて軽きは悪しし、すくみて軽 味わい良し。

 第二十三 足つかひの事

 あしつかひハ、まりにたとへたる物也。少も居つかす、かるき位吉。乍去、うわつりて、かるきハあしゝ、すくみてかる味わひ吉。

 

 第二十四 仕掛の心持ちの事

 心のとまる所なく、西江永(西江水)能く進みて、足取り浮きやかに仕懸けて うちにも進みかえ進みかへ往けば、待なる敵も大かたは水月にて打ち出すものなり。惣別(総じて)仕掛けには遊身と云いて、身の遊ぶ事をきらう事なり。心に油断出来て怠る故に、夕気(心が暮れる?)になりて進む所無し。然る時は、弥先(一番先)にも心指し無きに依りて、あるいは手前へ入こめ、誰にも合わする所作ことごとく跡(後)になるなり。先ず第一は、敵に心指し離れざる様にする事根本なり。待とも、くつろぐるとも、志を帰す(と)云う事はこれ無き事なり。その仔細は、志し帰れば 待つところへ急に打掛らるる時、皆々請けになるものなり。
  初心の時は、殊更正しくなき故に、一足ふみ出しては、少しも帰らぬ様に思いつめたる良し。殊に兵法は前方(未熟)なるうち、足帰れば心もつれて引けるものなり。懸なる所を能く究め、いか様に打たれても引けぬ所を合点しては、詰まりたる所をくつろげ、往きにくき所を留まりても苦しからず。
  惣別(総じて)上手の仕なしは、とどまるも仕掛け繕えるも、仕掛け帰るも、仕掛けする業ことごとく仕様有る故に、何時打ちても能くそのはやみに移り、その働きに応ずるなり。少しも心の留まり、居着く所有るうちは、すすむ志しは無きものなり。
  ここを用い得ては、敵につき勝たんも、我につけて勝たんも、志高うて勝たんも我次第なり。心が留まらねば、自ずから足けも浮きやかになるものなり。いか様の習いを能く究めたる人も、兵法の仕掛けの備わらぬ以前、勝口思う様に行くべからず。

 第二十四 仕掛の心持の事

 心のとまる所なく、西江永能すゝミて、あし取、うきやかに仕懸て、内にもすゝミかへかへゆけハ、たい成敵も、大かたハ水月にて打出す物也。惣別、仕掛にハ、遊身と云て、身のあそふ事をきらふ事也。心に油断出来ておこたる故に、夕気に成てすゝむ所なし。然時は、弥先にも心指なきに依て、或ハ手前へ入こめ、たれにもあわする諸作ことことく跡に成也。先第一は、敵に心指はなれさる様にする事根本也。まつとも、くつろぐる共、志を帰す云事ハ無之事也。其子細は、志帰れハまつところへ、きうに打掛らるゝ時、皆うけに成物也。初心の時ハ、殊更正しくなき故に、一足ふミ出してハ、少も帰らぬ様に思ひつめたる吉。殊兵法は前方成内、足帰れハ心もつれてひける物也。けん成所を能きわめ、何様にうたれても、ひけぬ所を合点しては、つまりたる所をくつろけ、ゆきにくき所を留まりても不苦。惣別上手のしなしは、とゝまるも仕懸つくろえるも、仕懸帰るも、仕掛するわさ、ことことく仕様有ゆへに、何時うちても能其はやミにうつり、そのはたらきに応する也。少も心のとまり、いつく所有内は、すゝむ志はなき物也。爰を用得てハ、敵につき、かたんも、我につけてかたんも、志たかふてかたんも我次第也。心か留らねハ、をのつからあしけもうきやかに成物也。何様の習を能究たる人も、兵法の仕掛のそなわらぬ以前、勝口思ふ様に不可行。

 

 第二十五 思い付たる本を立つる指南事

 兵法は、その人々によりて、風俗変わるものなり。あるいは待なる兵法も有り、又懸なるも有り、そのほか色々かわる事なれども、先ず初めはその者の生得の固き志しを立てて指南する事第一なり。少しにても心付きたる所(気付き、思い付き)あらば、たとえ悪き事にても そのまま立つる心持ち良し。後には我と合点して、悪き所作 志しは、自ずから直るなり。とかく初心のうちはその者の兵法を育つる様の打太刀第一なり。

 第廿五 思ひ付たる本を立る指南事

 兵法ハ、其人々によりて、風そくかわるもの也。或ハたい成兵法も有、又けん成も有、其外色々かわる事なれ共、先初メハ其者の生得のかたき志をたてゝ指南する事第一也。少にても心つきたる所あらは、たとへ悪キ事にても其まゝたつる心持吉。後にハ我と合点して、悪き諸作志は、をのつからなをる也。とかく初心の内ハ其者の兵法をそたつる様の打太刀第一也。

 

 第二十六 すたりたる所作の事

 仕掛けの進まぬ時は、すたりたる所作にて勝つ心持ちよし。これは前後を思いはからず、成らずは成らぬ所にて勝つ心持ちなり。これを無理に成らせたがるに依りて、心指し留まり、あるいは居つくなり。能くよくすたれば、志し敵に有りて自由なり。
 よしあしと おもふ心を 打すてゝ
    何事となき 身と成てみよ
 右遊身に成るを、進ませたがることを捨て遊身になりて勝つ心持ちなり。無理に進ませたがるも着くなり。

 第廿六 すたりたる諸作の事

 仕掛のすゝまぬ時は、すたりたる諸作にて勝心持よし。是ハ前後をおもひはからす、ならすハならぬ所にて勝心持也。是を無理にならせたかるに依て、心指留り、或ハ居つく也。能ゝすたれハ、志敵に有て自由也。
 よしあしと おもふ心を 打すてゝ
    何事となき 身と成てみよ
 右遊身に成を、すゝませたかることを捨て、遊身に成て勝心持也。無理にすゝませたかるも着也。

 

 第二十七 仕掛けの徳の事

 仕掛けに遊身を嫌う事は、心の留まる故なり。心にも気にも所作にも、少しも留まる所なき時ならでは(以外には)、進む所はこれ無きものなり。遊身は石木の様に固まり居つき、心に働き無きを云うなり。然る故に水月を越せども、敵へ志し無き故に場を遠く思いて引き請けて打つなり。
  上手の仕掛けは朝日などの出たる様に、少しも留まる所なく、志し敵に能くかかる故に、場は遠くも近き様に思い、はやく打ち出すなり。仕掛けのうちに たるみ無き様にゆく事専一なり。仕掛けの内にたるむは、志し引ける故なり。志しさえ引けねば、たるみは無きものなり。
  惣別(総じて)仕掛けの能き事は、わきから見ても、一切見据えられぬものなり。流れの速き川などの、浪(波)に目印をして見送る様な味わいあり。そのほか 仕掛けには少しの心覚えによき事有りといえども、習いの外なれば云うにいわれず。大かたは、書きしるすなり。このほか教外別伝、我と心を仕覚えずしては成るべからず。
 ときもせす 云うも得さりし 所をは
    しらぬ物そと しるそしるなる
 右に書き記すごとく、まずまず心の留まらず、遊身にならず、そのうちの心覚えは自ずから有るべき事なり。

 第廿七 仕掛の徳の事

 仕掛に遊身をきらふ事ハ、心のとまるゆへ也。心にも気にも、諸作にも、少もとまる所なき時ならてハ、すゝむ所は無之物也。遊身ハ石木の様に、かたまり居つき、心にはたらきなきを云也。然故に水月をこせ共、敵へ志なき故に、場を遠く思ひて引請て打也。上手の仕掛は朝日なとの出たる様に、少もとまる所なく、志敵に能かゝる故に、場はとをくも近き様に思ひ、はやく打出す也。仕掛の内にたるみなき様にゆく事専一也。仕掛の内にたるむハ、心さしひける故也。志さへひけねハ、たるミハ無もの也。惣別仕掛の能事は、わきから見ても、一切見すへられぬ物也。ながれのはやき川なとの、浪にめしるしをして見おくる様な味わひあり。其外仕掛には、少の心覚によき事有といへ共、習の外なれハ云にいわれす。大かたは、書しるす也。此外教外別伝、我と心を仕覚すしてハ不可成。
 ときもせす 云も得さりし 所をハ
    しらぬ物そと しるそしるなる
 右に書しるすことく、まつまつ心のとまらす、遊身にならす、その内の心覚は、をのつから可有事也。

 

 第二十八 勝口の心持ちの事

 大体の兵法に位のつかぬうちは、かさ(嵩)の無き故に勝口詰まるものなり。惣別(総じて)勝口は、僅かなる所に着きしぬれば(着けば)成り難きものなり。当たりも、少しの当たりを捨て大き成る所を勝つ心持ち良し。何時も敵を見おろしたる心持ちよし。
 引上た みね(峰)に庵を むすへかし
    たに(谷)ゝは月の おそく出るなり

 空の身に 思う心も 空なれは
    空といふこそ もとの空なれ
 右のごとく、上嵩に仕懸ければ、下へ入り込まるるものなり。左様の時は、 の目付に心を付くる。依而(依って)入り込む事ならぬものなり。(※一文字空き有り)

 第廿八 勝口の心持の事

 大体の兵法に位のつかぬ内ハ、かさのなき故に勝口つまる物也。惣別勝口ハ、わつかなる所に着しぬれハ、成かたき物也。当りも、少の当りを捨て、大き成所を勝心持吉。何時も敵を見おろしたる心持よし。
 引上た みねに庵を むすへかし
    たにゝは月の おそく出るなり

 空の身に 思ふ心も 空なれハ
    空といふこそ もとの空なれ
 右のことく、上かさに仕懸れハ、下へ入こまるゝ物也。左様の時ハ、 の目付に心を付る。依而入こむ事ならぬもの也。(※一文字空き有り)

 

 第二十九 素人に勝つ心得事

 素人には、仕掛けの乗りたる味あるいは位にと取りて仕掛けては誤りたかる(ある)べし。水月を敵に越させ、志しを離し、待ちて勝つ心持ちよし。初心なる者は、打ちなまりて、捧心見えて、手裏剣見え、扨(それから)太刀を下ろすものなれば、この方より仕掛け候えば 所作先立ちて誤り有るべし。志しを離して打てば、先立つ事は無きものなり。

 第廿九 しろふとに勝心得事

 しろふとには、仕掛ののりたる味、或ハ位にと取て仕掛てハ、あやまりたかるへし。水月を敵にこさせ、心指をはなし、まちて勝心持よし。初心成者ハ、打なまりて、ほうしん見へて、しゆりけんみへ、扨太刀をおろす物なれハ、此方より仕掛候ヘハ諸作先立て、あやまり可有、心指をはなしてうてハ、先立事ハ無者也。

 

 第三十 素人には、所作勝ちを用う事

 素人に仕掛けの立たぬは、水晶は明らかなるによって日月の光移(映)ろう、石瓦は濁れるゆえ移さず。されば兵法の心を知りたる者は、心明らかなる故に仕掛けを見知りて我と詰まるなり。然る故に遣い手の仕掛け自ずから立つなり。
  仕掛けの善悪を見知らず、素人は己が心指し濁る故に仕掛けの志し移さず。然る故に表裏(あざむき)気前をもととして、なる程(なるべく)所作に懸を表せば怖るるものなり。
  惣別(総じて)兵法は、その分々を見届け、打太刀の位ほどに仕掛け勝つ事、上手ならでは成り難し。志しの濁ると云う位も上手の上にては用いる事もこれ有る事なり。口伝ならでは。

 第卅 しろふとにハ、諸作勝を用事

 しろふとに、仕懸のたゝぬハ、水しやうハ明らか成によつて日月の光うつろふ。石かわらハ、にこれるゆへ不移。されハ兵法の心を知りたる者は、心あきらか成故に、しかけを見知りて我とつまる也。然故に遣手のしかけ、をのつからたつ也。仕掛の善悪を不知見、しろふとハ、己か心指、にこるゆへに、仕掛の志不移、然故にひようり気せんを、もとゝして、成ほと諸作に、けんをあらわせハ、おそるゝ物也。惣別兵法ハ、其ふんふんを見届、打太刀の位ほとに仕掛勝事、上手ならては成かたし。志のにこると云位も、上手の上にてハ用る事も有之事也。口伝ならてハ。

 

 

 第三十二 習い用様の事

 万(よろず)の習いは、神妙剣にて用うは心持ち良し。品変わりたるとて、格別に思うは悪、神妙剣にて用うと思えば、心入り深き故に、能くその理にそなわるなり。

 第卅二 習用様の事

 万の習は、神妙剣にて用ふハ心持吉。しなかわりたるとて、かくへつにおもふハ悪、神妙剣にて用ふと思へは、心入ふかき故に、能其理にそなわる也。

 

 第三十三 素人打ちの事

 左太刀・左車中にて切り留めに打ち、片手を放ち入りこむ事、横に帰る事、突く事、すぐに擦り込む事大方なり。このほか色々有るものなり。然る故に行きがかりては我と当る事 自然これ有るべし。斯様の仕落ち(手抜かり)は兵法上手にても功積もらざるうちは有るべき事なり。下手にても功の入りたるは素人などには能く仕こなす事有るべし。然る故に、修行の足らぬ兵法はたとえ上手にても思わざる仕落ちこれ有るべき事。とかく場の外にて打ち出す様の手立て専一なり。

 第卅三 しろふと打の事

 左太刀・左車中にて切留に打、片手をはなち入こむ事、よこに帰る事、つく事、すくにすりこむ事大方也。此外色々有物也。然故に、行かゝりては、我と当る事自然可有之。か様のしおちは、兵法上手にても、こうつもらさる内ハ、可有事也。下手にても、こうの入たるハ、しろふとなとにハ、能しこなす事可有。然故に、しゆぎやうのたらぬ兵法は、たとへ上手にても、おもわさるしおち可有之事。とかく場の外にて打出様の手たて専一也。

 

 第三十四 水月取る身位の事

 水月取り様にて場の遠き近きとこれ有り、所作にあらわしては つっ立ちたる身位を好くなり。先へかかり身に取りたるは同じ場にて当たるなり。後ろへ退き身に取りたるは、当たらねども仕掛ける時又おこづく(調子がつく)なり。只つっ立ちたる身は同じ場にて当たらぬなり。志しにて云う時は、進みて取りたる所よし。敵の動きの未だこれ無き以前に、先にすすむ志し少しにてもあれば、場より内へは聊爾(浅慮)に入り込まれぬものなり。留まるにも進む志しあれば、自ずから移るなり。移さんと思うも着くなり。自ずから移れば移る。移りとは、月も思わず水も思わず、独り移る位よし。巧みて移せば移ると云う位へは行に候べし。我知らずに移る位よし。

 第卅四 水月取身位の事

 水月取様にて、場の遠き近きと有之、諸作にあらわしてハ、つつ立たる身位を好也。さきへかゝり、身に取たるハ同場にて当る也。うしろへ、のき身に取らたるハ、当らね共、仕掛る時又おこづく也。只つつ立たる身は、おなじ場にてあたらぬ也。志にて云時ハ、すゝみて取たる所よし。敵のうこきの未無之以前に、先にすすむ志、少にてもあれハ、場より内へハれうしに入こまれぬ物也。とまるにもすゝむ志あれハ、をのつからうつる也。うつさんと思ふも着也。をのつからうつれは移る。移りとは、月もおもはす水もおもわす、独りうつる位よし。たくミてうつせは移ると云位へハ行に候へし。我しらすに移る位よし。

 

 第三十五 志しを知る習いの事

 上手の志しは上へ表れぬものなり。さりながら、その心を知るは一言のはずれ(言葉のはしばし)にて、能く心を付ければ うつらずと云う事なし。群れ入る鴎を見てその池辺を知りしやは。かしら一寸出て丈を知ると云う事有り。能くよく察する事肝要なり。思う処は必ず一言には云い出さぬものなり。
 里はまた ふらさりけりと 旅人の
    いふに山路の 雪をしらる々
 その心根 能く察する味よし。

 第卅五 志をしる習の事

 上手の志は上へあらわれぬ物也。乍去、其心を知るは、一言のはつれにて、能心を付れは、うつらすと云事なし。むれ入かもめを見て其池辺を知りしやハ。かしら一寸出て、たけを知と云事有。能々察する事かんやう也。思ふ処ハ必一言には云出さぬ者也。
 里ハまた ふらさりけりと 旅人の
    いふに山路の 雪をしらる々
 其心根能察する味よし。

 

 第三十六 心染むる習い習う道の事

 心を染むると云う事有り。あるいは習いを請けてもただ大方の合点にては、その理には叶わぬ物なり。あるいは白き心を黒くせよと教ゆるに、形ばかりを其の色に染むる故に、似たる様にて化なり。心を能くよく染めねば形は染まぬものなり。
 そめはやな 心の色を 黒そめに
   衣のいろは とにもかくにも
 所作の形は元来(本来は)入りて要らぬものなり。志しの吟味第一なり。

 第卅六 心そむる習ならふ道の事

 心をそむると云事有。或は習を請てもただ大方の合点にては、その理にはかなわぬ物なり。 或は白きこゝろを黒くせよと教ゆるに、形はかりを其の色にそむるゆへに、似たる様にて化なり。心を能々そめねはかたちハそまぬもの也。
 そめはやな 心の色を 黒そめに
   衣のいろは とにもかくにも
 諸作の形ハ元来入ていらぬもの也。志の吟味第一也。

 

 第三十七 小太刀の事

 ひっさげたる(表に出して動かす)所作は場を越す越さぬの遣いにて、打ち出す様に仕掛けて乗りたる時は良し。乗らぬ位にては危うき事なり。左様の時は、まず付きたる所作よし。

 第卅七 小太刀の事

 ひつさけたる諸作は、場をこすこさぬのつかひにて、打出す様に仕掛て乗たる時はよし。のらぬ位にてハ、あやうき事也。左様の時は、まつ付たる諸作よし。

 

 第三十八 内小太刀の事

 仕掛けの内にも、下げたる所作は、進みたる味わいの手足身にまで能く去るの移りたる様に覚ゆる時によし。これは能く進みたる時の事なり。進まぬ時、無理に進ませたがるによって所作にたるみ出来て当たるなり。

 第卅八 内小太刀の事

 仕掛の内にも、さけたる諸作は、すゝミたる味わひの手足身にまて、能去のうつりたる様に覚る時によし。是ハ能すゝみたる時の事也。すゝまぬ時、無理にすゝませたかるによって、諸作にたるミ出来て当る也。

 

 第三十九 仕掛けの事

 人の身の主は心なり。主なり。これを喩えて云う時は、ともし火などの様に一切正(現実の実体)の無き、消えやすきものなり。然るといえども、心を云うに色々これ有る事なり。とりわけ本心と云う消えぬ心の事を云うなり。このうちにも空心と云う事有り。喩えて云わば、ともし火は常の心を云うなり。本空心はかたちもなく、躰もなき所より、有無にしたがって生ずるを云うなり。これは元来空にして心の色つかぬ。

 第卅九 仕掛の事

 人の身の主ハこゝろ也。あるし也。是をたとへて云時は、ともし火なとの様に一切正のなき、消えやすき物也。然といへ共、心を云に色々有之事也。取分本心と云ハ、消ぬ心の事を云也。此内にも空心と云事有。たとへて云ハ、ともし火は常の心を云也。本空心ハかたちもなく、躰もなき所より、有無にしたがって生するを云也。是は元来空にして心の色つかぬ。

 右の何条 新陰流兵法の法度(決まり)なり。この心そなわらずしては、兵法なり難し。初心のうちよりこの何ヶ条の法度相勤むべきものなり。

 右之何条新陰流兵法之法度也。此心そなわらすしては、兵法なりかたし。初心之うちより此何ヶ条之法度可相勤ものなり。

        上泉伊勢守


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