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江戸柳生の雄、柳生十兵衛三厳の兵法書「当流の兵法」と、「行川の流」の二種です。両方とも短く簡潔に、父宗矩から伝わる新陰流の要諦を著していると思います。

 

※原文をこの色で併記します。

当流の兵法

年月不記

柳生十兵衛

 

当流の兵法、心・気の二ツを以て遣うなり。まず、心定まらざる故に表裏(あざむき)に浮かされるものなり。敵の心を知らんよりは我が心気の取られぬ事を知るべしとなり。

心移りよき物なれば、見る事、聞く事に迷い移り、或いは人の形、所作、刀のひらめき、危なき、こわきと思う事、敵の顔の見たき事、人の身なり、声に驚く事、あなつり(侮り)油断、粗相にする事、にわかに奇特、不慮の所作に気をつける事、習いかねて思わず忘れる事、斯様のことみな病なり。

然るによりて病気を去れと云い、病を去りて目付一ツに心を入れ候をもって心定まるとなり。兼ねて立ち合わざるさき、この心を忘れざるを下作(下作り)と申すなり。

一見と定めて立ち出でては、急々に仕かけられても負けること無きものなり。右の心を忘れて病に迷う者(に)は、急に仕懸けて打つも、勝てずと云う事なし。早く仕懸ける事ひとつの習いなり。知らざる者も早く仕懸け候えば勝ち多きものなり。然るによりて、早く仕懸け候えば、負けて半分になると申す事これなり。

心の定まる習いには、神妙剣・水月、合わせると身を寄する事、こればかりを心に持ち、病を去りて見る事、懸待二ツにこれを忘れまじきなり。この習い観の目付けなるによりて、心に持つ事肝要に仕候事(つかまつりそうろうこと)。

当流の兵法、心・気の二ツを以てつかふ也。まつ、心さたまらざる故に、表裏にうかさるるもの也。敵の心をしらんよりは、我か心気のとられぬ事を知べしと也。心うつりよき物なれば、見る事、聞事に迷ひ移り、或は人の形、所作、刀のひらめき、あぶなき、こわきと思ふ事、敵の顔の見たき事、人の身なり、声に驚く事、あなつり油断、そそふにする事、俄に奇特、不慮の所作に気を付る事、習かねて思わす、わするる事、ヶ様のことみな病也。然によりて、病気をされと云、病をさりて、目付一ツに心を入候をもって、心定まるとなり。兼て不立合さき、此心を不忘を下作と申也。一見と定て立出ては、急々に仕かけられても、負ることなきもの也。右の心を忘れて病にまよふ者は、急にしかけて打も、不勝と云事なし。はやく仕懸る事ひとつの習也。不知者もはやく仕懸候えは勝多きもの也。然によりて、はやく仕懸候へは、負て半分になると申事是也。心の定まる習には、神妙剣・水月、あわすると、身をよする事、是斗を心に持、病を去て見る事、懸待二ツにこれを忘れましき也。此習観の目付なるによりて、心に持事肝要に仕候事。

 

一 仕懸けて勝つは先の心を定めて、気を先につくべきなり。気は心に覚えあれども取出しいわれざる物なり。しかしながら兵法の心には、目付に念を入りて深く見る心持ちを気と定むる也。

気に思いが入りなければ見えぬものなり。働きもならぬものなり。気は捧心※よく見ん為なり。捧心見えぬ物なり。見えぬ所を見んと思う心は、気を用いざればならぬものなり。よく見んために、無に渡れば無念、着に渡れば無着と定め、観受すれば無明を除くなどと申すなり。

一見と念入りて見る習いには、病気を去りて手利剣※※、一去※※※、定、捧心、これを忘れまじき事肝要と定むるなり。

※(捧心の事:これは心のはっする所をミる心也。空のうちより是をミる事肝要也。ミえざるさきに心をつくるに付てミえると云う也。ミえざるにより、みんと思う心によって能くなる也。この目付はおもいのままにならず候。然るとも是を心がけ候えば、空の調子、一つに去る事*、うごき右の三つの段、目付 残す所無く能く成るによって、ここを専と心がける也。心のはっする所、捧心一つにかぎらずあるべし。ここを気ざさせむために 迎・表裏を用いる也。観にいたれば何事もミえぬと云う事なし。観より一見とミ出し候。捧心也。:「武蔵野」柳生十兵衛)
※※(手字種利剣:しゅり剣は手のうちを見ると云う心持ち也。しゅりハ太刀打つ所、十文字にあたるをしゅりと云う也:「武蔵野」柳生十兵衛)
※※※(一つに去と云事:病気のうちを うごき一つにされと云う事也。三つは大かたの儀に付きその内にて一つにされと云う儀也。:「武蔵野」柳生十兵衛)

一 仕懸て勝は先の心を定めて、気をせんに可付なり。気は心に覚あれとも、取出しいわれざる物也。しかしながら、兵法の心には、目付に念を入てふかく見る心持を、気と定むる也。気に思か入なけれは、見えぬもの也。働きもならぬもの也。気は捧心よく見ん為なり。捧心見えぬ物なり。見えぬ所を見んとおもふ心は、気を用ざればならぬもの也。よく見んために、無にわたれは無念、着に渡れば無着とさため、観受すれば、無明を除くなとと申也。一見と念入て見る習には、病気を去て、手利剣、一去、定、捧心、是を忘れましき事、肝要と定むるなり。

 

一 心気の抜けぬ心持ちの事、心は定まりたる物なれども気に取られる物なり。それにつきて心も抜けるという。気の保ち肝要なり。

抜かすまじきと思うは抜けるなり。抜ける物と思うによりて抜けぬものなり。病を忘れるによりて抜けるなり。病を知れば抜けぬものなり。

然るにより、西江水、三重五重忘れずして※懸かり勝つ事、先々の習いと定むるなり。懸かるも先なり。捧心を見るは見えぬ所を用いるにつきてこれも先なり。それにつきて先々と申すなり。

※西江水之事 〜心をおさむる所、腰より下に可得心。是専一とす。油断のなき事、草臥ざるさきに、捧心万ずに心を付させんがためなり。油断の心あれば、ならざるもの也。其心持肝要也。夫を忘れざる事を、心の下作と云也。三重五重にも油断なく、勝たると思ふべからず。打たると思ふべからず〜:「月の抄」柳生十兵衛

これ受用しては同じごとく知りても先に負くるものなり。気の出来ざる前を向かう事肝要なり。気を出しても固まるは悪しき候。固まりあれば早く勝ちたるよし。

この心を持ち仕かけては、気の抜けるという事なし。

一 心気のぬけぬ心持の事、心は定まりたる物なれども、気にとらるる物也。それに付て、心もぬくるといふ、気のたもち肝要也。ぬかすまじきと思ふはぬくる也。ぬくる物と思ふによりてぬけぬ物也。病を忘るるによりてぬくる也。病をしればぬけぬもの也。然により、西江水、三重五重不忘してかかり勝事、先々の習と定むる也。かかるも先也。捧心を見るは、見へぬ所を用るに付て、是も先也。それに付て、先々と申なり。此受用してはおなじごとくしりても、先に負るもの也。気の出来さるまへを向ふ事肝要也。気を出しても、かたまるは悪敷候。かたまりあれは、はやく勝たるよし。此心を持仕かけては、気のぬくるといふ事なし。

 

一 無刀に切られぬ心持の事、無刀取るべきにあらず。切らねば取らぬなり。切られば無刀にて取りたるなり。皆人(すべての人)の無刀を切る事をにくむ(厭に思う)は、取られたるに同じ事なり。
水月(間積もり)うけて居れば当たらざるものなり。水月の内に入らざる間は外し、水月の内に入りては取りつくなり。また刀無くしても、何にても持ち合わせ候いて勝つを無刀と定むるなり。

(参考:柳生宗矩「兵法家伝書」より  
一 とられじとするを是非とらんとするにはあらず。とられじとするをばとらぬも無刀也。とられじとられじとする人は、切ろう事をばわすれて、とられまいとばかりする程に、人をきる事はなるまじき也。われはきられぬを勝とする也。人の刀を取を芸とする道理にてはなし。われ刀なき時に、人にきられまじき用の習也。
一 無刀と云は人の刀をとる芸にはあらず。諸道具自由につかはむが為也。刀なくして人の刀をとりてさえ、わが刀とするならば、何かわが手に持て用にたたざらん。扇を持て也共、人の刀に勝べし。無刀は此心懸なり。刀もたずして、竹杖ついて行時、人、寸の長き刀をひんぬいてかかる時、竹杖にてあいしらいても、人の刀を取もし、また必とらず共、おさえてきられぬが勝也。此心持を本意とおもうべし。
一  無刀は、とる用にてもなし。人をきらんにてもなし。敵から是非きらんとせば取べき也。取事をはじめより本意とはせざる也。よくつもり(間積もり・間合)を心得んが為也。敵とわが身の何程あれば、太刀があたらぬと云事を、つもりしる也。あたらぬつもりをよくしれば、敵の打太刀におそれず、身にあたる時は、あたる分別のはたらきあり。無刀は、刀のわが身にあたらざる程にてはとる事ならぬ也。太刀のわが身にあたる座にて取也。きられてとるべし。)

右心気の心忘れず、受用いたし、抜かさず、固まらず、待にして居るもの、何と切るべきや。これを切るべき事を思わば、捧心先々の習なくして切り候事は成り難きものなり。

少し切られても取りつき候えば無刀の徳なり。右に申すごとく少し切られて取るを無刀と申すなり。無刀を知れば徳多きによりて、無刀を専習に致し候事なり。太刀道具いずれも持つものを自由にせんためなり。

兵法は心気の受用に極まる故に、心はじめの発せざる前に心を付くる事肝要なり。然るにより、無刀専一の習い、当流の極意に致すなり。

習い皆心気より出るものなり。それをよく極め用い候いてより何事も成らずという事なし。
この外の習いは、表裏、病を用いて、それに驚かして勝つ事と申すなり。心の定まりよきに気のつかう心持ち、太刀打ちよき、表裏乗りよき事を考え候て一ヶ条にしるし、秘事に相極め候いて指南候事。

左様の義、鍛錬工夫の上、日々夜々(日常普段に)出来るものなり。それ皆秘事なり。習い多くいらざるもの也。

心気の二ツ受用より、表裏にて成らず候えばこの道(病を用いて、それに驚かして勝つ事)を用ゆるなり。知らざる者は病気に浮かさるるものなり。知らざる者に勝つ習いは、病気より悪き事はなし。それを働きかけ候えば、大路から無刀にて取るもの也。[ただし]この習いは互いに知りあいての心持ち、先々の有るをよく知りあい候ての極まりなり。常はこれに及ばぬものなり。

みな兵法習いを用いるは、切らせ、打ち出すを見て、それに随いて打つ、待なる者には、仕懸け、表裏、方便にて、それに乗せ候いて打たせて勝つより外の習いこれ無きものなり。

それを心気より起こる事を知らず候いて習いにあると思うなり。これ心気の働きと知らざる故なり。表裏心より出る、それは表裏能く致すも上手なり。よき方便如何様の事も出来る物なり。

皆人の 驚き、心取らるるによりて負勝有るものなり。

この道は、人の心気を取る事を習いにいたす、みなこれ表裏ばかり事 いかようの事も成るものなり。
兵法一心と申すもこれなり。一心ととりて無理に健気(一途な心掛け)を出してかかる事にはなし。心の理を専にするにより一心と申すなり。この余の心持ち申す義御座無く候。これを保つ事、専にいたし候と申すなり。
  以上    柳生十兵衛

一 無刀にきられぬ心持の事、無刀とるべきにあらず、きらねばとらぬ也。きらねば無刀にてとりたる也。皆人の無刀をきる事をにくむは、とられたるに同事也。水月うけて居れば不当もの也。水月の内に入らざる間は、はつし、水月の内に入てはとりつく也。又刀なくしても、何にても持合せ候て勝を、無刀と定むる也。右心気の心わすれず、受用いたし、ぬかさず、かたまらず、待にして居るもの、何ときるべきや。是を切べき事を思はば、捧心先々の習なくして、きり候事は難成物也。少しきられても、取つき候へば、無刀の徳也。右に申ことく、少きられてとるを、無刀と申也。無刀を知れば徳多きによりて、無刀を専習に致候事也。太刀道具何も持ものを、自由にせんため也。兵法は、心気の受用に極まる故に、心はしめの発せざる前に心を付る事肝要なり。然るにより、無刀専一の習、当流の極意に致す也。習皆心気より出るもの也。其をよくきわめ用候てより、何事もならずといふ事なし。此外の習は、表裏、病を用て、それに驚かして、勝事と申なり。心の定よきに、気のつかふ心持、太刀打よき、表裏乗よき事を考候て、一ヶ条にしるし、秘事に相極候て指南候事。左様の義、鍛錬工夫のうへ、日々夜々、出来るもの也。それ皆秘事也。習多く不入もの也。心気の二ツ受用より、表裏にてならず候へば、此道を用ゆる也。不知者は病気にうかさるるもの也。不知者に勝習は病気より悪き事はなし。夫を働きかけ候へば、大路から、無刀にてとるもの也。此習は互に知りあひての心持、先々の有をよくしりあひ候ての極りなり。常は是に及ばぬもの也。みな兵法習を用るは、きらせ、打出すを見て、其に随てうつ、待なる者には、仕懸、表裏、方便にて、それにのせ候て、うたせて勝より外の習、無之もの也。それを心気より、おこる事を不知候て、習にあると思ふ也。是心気の働と不知故也。表裏心より出る、それは表裏能致すも上手也。よき方便如何様の事も出来る物なり。皆人の驚き、心とらるるによりて、負勝有もの也。此道は、人の心気を取事を習にいたす、みな是表裏ばかり事何ようの事もなるもの也。兵法一心と申も是也。一心ととりて無理にけなけを出してかかる事にはなし。心の理を専にするにより、一心と申也。此余の心持、申義無御座候。是をたもつ事、専にいたし候と申也。
  以上    柳生十兵衛

 

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行川の流

年月不記

柳生十兵衛

 

  序
 行川の流れはたえずして、しかも本の水にはあらず。よどむにしたがって淵瀬(昨日の深所が今日の浅所になることから定めのないこと)ともいいてしか。兵法もただそのままの、何の心もなく、おのずから切る所こそ良けれ、我身も知らず、勝つ処あるべきものから(ものだから)、
ただ人は、迷う事のみ多く、心なお徒(いたずら・無益)にして、目こそ疎かなるものなれ、つらつら思うに、兵法は習いのみ数千に及ぶ故に、ここに曇る心ついに晴れやらず、習いかえって淵瀬とも云うべきにや(ではないか)。

  序
 行川の流はたへずして、しかも本の水にはあらず。よどむにしたがって淵瀬ともいいてしか。兵法も唯そのままの、何の心もなく、おのつから切る所こそよけれ、我身もしらず、勝処あるべきものから、唯人は、まよふ事のみおほく、心猶いたつらにして、目こそおろかなるものなれ、つらつら思ふに、兵法は習のみ、数千に及ふ故に、ここに曇る心、終にはれやらず、ならひかえって淵瀬ともいふべきにや。

 

一 敵 懸にして、一拍子にかかり打つ者は打ちて勝つべし。また打つ所を即勝ちてもよし。敵 懸にして水月に留まる者は、留まる所へ仕掛けて打つべし。

一 敵懸にして、一拍子にかかり打者は、打て勝べし。又打所を則勝てもよし。敵懸にして水月にととまるものは、留まる所へ、しかけて打べし。

 

一 敵 待にして水月の越場を狙う者は、水月の以前にて表裏を仕掛け、それにのせて打つべし。表裏にも乗らずして待請けて打つ者は、表裏を勝ちとすべし。また水月を越しかけて勝つもよし。水月をぬすむという事、手など、身などにて取るも同前なりといえども、同じくは足にてぬすみ打つ事よし。

一 敵待にして水月の越場をねらふものは、水月の以前にて、表裏をしかけ、それにのせて打べし。表裏にも乗らずして、待請て打ものは、表裏を勝ちとすべし。又水月をこしかけて勝もよし。水月をぬすむという事、手など、身などにて取も同前也といえとも、おなじくは、足にてぬすみ打事よし。

 

一 敵うきうきとして定まらざる者は、方便・表裏・気前※を働かして、敵の望む所をよく見て、その所へくれかけて勝つべし。第一敵の心持ち、方便・気ざしを、かねてよく見る事専一なり。
※機前之事 〜気の前と云心也。捧心ははっする所なり。はっする気は動く気也。〜「月の抄」柳生十兵衛

一 敵うきうきとして定まらざる者は、方便・表裏・気前をはたらかして、敵の望む所をよく見て、その所へくれかけて勝べし。第一敵の心持、方便・気ざしを、かねてよく見る事専一也。

 

一 よろず勝つ所は心の先に留まるといへども、先の取り様、仕なし(身のこなし)、心の進め様(に)よればなり。先を取る事は、下作をかねてよく分別し、迎・捧心・西江水・神妙剣・水月無外 習いいずれも観にして、心の進む所を先に取るべし。立合所を移し勝つと思うべし。さて(そして)敵の心ざし末なき所に仕懸くべし。捧心(気の発する所)の勝ち、ゆめゆめ見る事にあらず。敵いまだいずれとも設けざる無の所を勝つ事、先々たるべし。

一 万勝所は、心の先にととまるといへども、先の取様、仕なし、心のすゝめやうよればなり。先を取事は、下作をかねてよく分別し、迎・捧心・西江水・神妙剣・水月無外習何も観にして、心のすすむ所を先に取べし。立合所を移し勝と思ふべし。扨敵の心ざし、末なき所に仕懸べし。捧心の勝、努々見る事にあらず。敵いまだ何共まうけざる、無の所を勝事、先々たるべし。

 

一 互いに先を取合い、我とく(得・有利?)の時は、いよいよ先々の取り様第一なり。待にして待つ事ゆめゆめあるべからず。立合いたる所、心ざしのすすむ所を以て仕懸くべし。ここに待請けて水月の場に至りいたらざる処にて、敵の、位を少しくつろぐる者有る時、勝ちと思い掠苔(罪人などをムチで打つように)に打つべからず、打はうつにあらずといえども、打出しつれば負けるものなり。ここによって先を取り 返すにも似たる歟。

一 たがひに先を取合、我とくの時は、いよいよ先々の取様第一なり。待にして待事、努々あるべからず。立合たる所心ざしのすすむ所を以仕懸べし。爰に待請て水月の場に至りいたらざる処にて、敵の位を少くつろくる者有時、勝と思ひりやうちに打べからず、打はうつにあらずといへとも、打出しつれば負るもの也。爰によって先を取返すにも似たる歟。

 

一 位をぬすむを先々と打つ事掠苔たるべし。打ちというこそ肝要なれ。打ちは手にあらず、身にあらず、心をもって氷を踏むごとく、いずくに取つかん所もなくして、
位を返す者を掠苔に打出したらんは負けたるべし。敵の、位をぬすみ先を返さんとする所へ、いよいよ手も身も本より心をも移しかけて先々と打つ故をもって位を返さんとするも猶非たるべし。この故に、少しもたまる事悪しきとなり。先々の勝ち、ここに留まるべきなり。

一 位をぬすむを先々と打事りやうちたるべし。打というこそ肝要なれ。打は手にあらず、身にあらず、心を以氷を踏ことく、いつくに取つかん所もなくして、位を返す者を、りやうちに打出したらんは、負たるべし。敵の位をぬすみ、先を返さんとする所へ、いよいよ手も身も、本より心をもうつしかけて、先々と打故を以、位を返さんとするも猶非たるべし。此故に、少もたまる事あしきと也。先々の勝、爰に留まるべき也。

 

一 勝という所、工夫という得 仕たる心 意なり。先を取らんとするも取られたる心なり。何の心もなく仕懸けんと思うもいよいよ難し。
 賤の女が いただく桶の底ぬけて 水溜らねは 月も宿さず
ここによって月も宿さずという事候や。ただ我身をたとえては、士峯(ふじ)の面鏡のごとし、心は赤子の心をもって、敵のかかるべき所はあらじと思う物から、
 見わたせば 花も紅葉もなかりけり うらのとまやの 秋の夕暮
  (とまや:苫で屋根を葺いた家)

一 勝といふ所、工夫と云得仕たる心意なり。先をとらんとするも、とられたる心なり。何の心もなく、仕懸んと思ふも、いよいよかたし。
 賤の女が いただく桶の底ぬけて 水溜らねは 月も宿さず
爰によって月もやとさすといふ事候や。唯我身をたとへては、士峯の面鏡のごとし、心は赤子の心を以、敵のかかるべき所はあらじと思ふ物から、
 見わたせば 花も紅葉もなかりけり うらのとまやの 秋の夕暮

 

一 小太刀にて、しろうと三人かけてすべき心もちは、先立ち合い処にて、すすみ出る敵ならば勿論、さなくとも有無に仕懸けて一人を打つべし。打つ所へ二人の敵の内一人追って、切ってかかる敵あるべし。その懸かる敵を打つよしにては何の心もなく、控えたる敵を打つべし。また用心して控えたる敵ならば、すすむ敵を打べし。かかる敵を打たせむとせば、控えたる敵必ず切りかかるべし。さありとも、少しも驚かず、構はずして水月の場へ至りたりと思わば、相手の敵を打捨て、近付きよりたる敵を打つべし。また立合所にて一人の敵を打時、二人の敵一度に切りかからば、合せて先一旦くつろぐべし。さて片端より、思いかけて仕懸くべし。一方より仕懸けるによって、わきの敵切りかかるべし。水月へ間近くよりたりと身付くは、相手の顔をうち捨て、脇より切かかる敵を打べし。立合所にて一人の敵を打て、またくつろげんとする時に急に二人ながら切かかり、身もくつろげさせず打たば、請合せ、片はしより追かけまわるべし。勝所は右の分別よくして、気前、方便、表裏をよく働かすべし。

一 小太刀にて、しろうと、三人かけて、すべき心もちは、先立合処にて、すすみ出る敵ならば、勿論、左なくとも、有無に仕懸て一人を打べし。打所へ二人の敵の内、一人追て、切てかかる敵あるべし。其懸る敵を打よしにては何の心もなく、ひかえたる敵を打べし。又用心してひかえたる敵ならば、すすむ敵を打べし。かかる敵をうたせむとせば、ひかえたる敵かならず切かかるべし。さありとも、少も驚かず、構はずして水月の場へ、至りたりと思はば、相手の敵を打捨、近付よりたる敵を打べし。又立合所にて、一人の敵を打時、二人の敵一度に切かからば、合せて先一旦くつろぐべし。扨片はしより、思ひかけてしかくべし。一方より仕懸るによって、わきの敵切かかるべし。水月へまぢかくよりたりと身付は、相手の顔をうち捨、脇より切かかる敵を打べし。立合所にて、一人の敵を打て、又くつろけんとする時に、急に二人ながら切かかり、みもくつろけさせずうたば、請合せ、片はしより追かけまわるべし。勝所は右の分別よくして、気前、方便、表裏をよく働かすべし。

 

一 刀にて、五人かけてすべき心持は、右のことく立合所にて打つべし。しかしながらこれは、立合所にて二人打つべし。その故は、長きものは遠き所にて勝ちある故、一人を打つ弓勢をもって、そばに居る敵をも打べし。打ちて一旦飛びのきて、二人を一所に追いかけ、一人を脇へ追いわけ、二人のかたへ仕かくべし。必ず一人の敵近々とよるべし。水月の場まで、知らざる顔にて寄せ付けて、二人の敵をうち捨て、脇より切りかかる一人の敵を打つべし。打つ時に二人の敵の内一人すすみ出る敵有るべし。その敵を逃さずして勝べし。この末の儀は、しかと仕覚へざる也。しかしながら、長き太刀にては五人までは勝つべき也。小太刀にては、三人より上をかけては如何とにや。
  以上      柳生十兵衛

一 刀にて、五人かけてすべき心持は、右のことく立合所にて打べし。しかしながら是は、立合所にて二人打べし。其故は、ながきものは、遠き所にて勝ある故、一人を打ゆんせいを以、そばに居る敵をも打べし。打て一たん飛のきて、二人を一所に追かけ、一人を脇へ追わけ、二人のかたへ仕かくべし。必一人の敵近々とよるべし。水月の場まで、不知顔にて寄せ付て、二人の敵をうち捨、脇より切かくる一人の敵を打べし。打時に二人の敵の内一人すすみ出る敵有べし。其敵をのかさずして勝べし。此末の儀は、しかと仕覚へざる也。しかしながら、長き太刀にては五人までは可勝也。小太刀にては、三人より上をかけては如何とにや。
  以上      柳生十兵衛


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