天狗藝術論
巻之四
一、槍に直槍 十文字 鉤 管等の傳あり、いずれか利あらん、
曰く、何ぞ問うことの愚なるや、槍は突くものなり、突くことの自在をなすは我にありて器(武器)にはあらず、
然れども あるいは鎌を付け、柄に鉤を仕込み、あるいは管をかけて用いることは、その先人の得たる所よりその利を工夫し、その器物(武器)の働きを極めて、これを用いて自在をなしたるものなり、
今その流儀を学ぶ者は、初めよりその器物にて仕習いたることなれば、他の器よりは手に熟したる器をもって働きたる方 利あるべし、
(しかし)
達して己に得るに至りては、棒を持ちても槍となるべし、
今、後学その門弟をあつめて、横手物にはこのあしらいにて勝ち、管、直槍にはこの通りにかかり、鉤にはかくの如くして勝つなど言うは、我が門弟に他の器に応ずることを教え、我が器物の利を説くのみ、然からざればその流儀の器を持ちたる得なし、
もしこれを至極と心得て、十文字は入り込みて来たり、鉤槍は直槍の柄を絡むものなりとのみ思わば、大いに相違あるべし、
然れども先ず師の教える所を専らに習熟すべし、その上のことなり、
悪しく心得れば初学の迷いを生ず、初学の取り入るべきよう無き者のために、しばらく収気の術を記す、これ小童にならわすべきことなり。
一、まずあうのけ(仰向け)に寝て肩を落とし、胸と肩とを左右に開き、手足をこころのままに伸べ、手をへその辺り虚欠の所に置き、悠々として万慮を忘れ、とやかくと心を用いることなく、気の滞りを解き、気を引き下げ、指の先までも気の往き渡るように気を総身に充たしめ、禅家の数息観のごとく呼吸の数を数えいるに、
初めのうちは呼吸荒きものなり、
だんだんに呼吸平らかになる時、気を活して天地に充つがごとくすべし、
息をつめ気を張るにはあらず、気を内に充たしめて活するなり、
この時に積聚(腹部の異状)の病ある者は、胸腹の間その病ある所、必ずしだるく気味悪しきものなり、
これすなわち 集まり凝りたる気の融和せんと欲して動ずるなり、腹の内鳴るものなり、
この時多くは腹の内の気味悪しきに驚きて止むものなり、
(しかし)この時はなお初めの開きて充ちたる気を改めず、掌(たなごころ・てのひら)をもって柔らかに抑え 揉むべし、
強くなでる時はかの動ずる邪気にさからい、かえって鎮まらざるものなり、
その突き上がる時は各々別なり、総じて腹の上一つ所に久しく手を置く時は、気その所へ集まるものなり、故に充ちたる所に手を置かずして、その虚なる所に手を置くこと習いなり、
また背に病あるものは必ず背中しだるくなるものなり、ただ気の凝らざるようにすべし、肩と胸とを開くこと習いなり、
両の肩を抜き出すように開く時は気伸びるものなり、これ形をもって気を開くの術なり、
気滞る時は心滞る、心滞る時は気滞る、
心気は一体なり、この術はまず気の滞りを解いて、その片寄る所を平らかにする術なり、
たとえば総身に蟻などたかりてせわしきを、払い落として身を清くし、その上にて新しき衣類を着し、綺麗なる所にいるがごとし、
神道に内清浄外清浄ということあり、
内清浄は心をきよくして私念妄想の穢れを去り、無欲無我の本体にかえり、元来固有の天真を養うなり、
外清浄は身を潔くして衣服居所を改め、気を転じて外の邪気を内へ移らざるようにして内清浄を助けるなり、
内外もと一つなり、内清浄の外に外清浄があるにはあらず、
心気もと一体なり、気は形の内をめぐって心の用をなす、心は霊(たましい)なり、形なくしてこの気に主たるものなり、
気を修する時は心自ずから安し、この気妄動する時は心くるしむ、
たとえば船静かなる時は乗者安く、波荒く船危うき時は乗者安からざるが如し、
故に初学の手を下す所、まず気の滞りを解きて心を平らかにして、気を活かして心の自在をなすべし、この道は寝て散乱するの気を収め、片寄る気を解きて平らかにするの術なり、
かくの如くすること五、七日あるいは十日 二十日のうちに修して、自ら快きことを覚ゆべし、快き時はなおなお術を行うべし、気収まりたらば気を活かすべし、
惰気(なまけ心)にひかるべからず気総身に充つるが如くわずかに心を活すれば、気活するものなり、
また昼は起きて形を正うし、気を活して総身に充たしめ、正三派の二王座禅のごとく、しばらくのうち座して気を収むべし、
必ずしも線香を立て時を定め、結跏趺坐(けっかふざ・足を組んだ座禅のかたち)するにも及ばず、常の如く座して形を正しくし、気を活かすのみ、しばらくのうち かくの如くして、一日に幾度も間暇の時に修すべし、
かくの如くすれば筋骨の束ね合い、血脈流行して滞りなく、気実して病自ずから生ぜず、
形正しからざれば気片寄る所あり、立って修するも同じ、人と向かい座しあるいは物に対し、または事を務める時も同じ、胸と肩とを開きて気の片寄ることなく滞ることなく、総身指の先までも気の充ち渡るように心を付くべし、
歌謡して声を発する時も、飯を喫し茶を飲む時も、路を歩く時も、
常にかくのごとく心を付ける時は、後に不断の事になって、自然に気活するものなり、
不断かくの如くなる時は、不意の変に応じること速やかなり、
惰する時は死気になって用に応ずること遅きものなり、
落ちつきたると油断と似て異なるものなり、自ら試みて知るべし、
これ文才なく初学童幼といえども、心を付ければ労することなくして成り易きことなり、
小子輩の立ち廻り、茶の湯、蹴鞠、一切の小芸舞踊のたぐいまでも、気片寄りて生 活せざる時は、形の動静手足の続きうるわしからず、応用の所作も滞るものなり、
常には惰気(なまけ心)になりて何の心もなく、器(道具)をとることある時ばかり にわかに思い出して修せんとする時は、気改まり形にとられ、所作に意をとどめる故に、気動揺して不意の用に応じがたし、
常に心を用いて修する時は、事ある時に無心にして応ずる者なり、
ただ常に気を生活して(活かして)惰すべからず、
惰気は死気なり、死気は霊なし、故に用をなさざるのみにあらず、物に驚き怖れること多し、
気総身に充ちて心と共に生活する時は、驚く事も無く、怖れる事も無く、不意の変にも応じやすし、ただし浮気(不確かな心持ち)は根無し、生活にはあらず、似て異なり。
一、昔ある禅僧小童(こども)に教えて曰く、恐ろしき所を通る時は腹を張りてゆき過ぐべし、恐ろしき事は無きものなりと言いし、よき方便なり、腹を張る時は気を引き下げて下にあつまり、しばらくは気 内に充ちて強くなるものなり、気 虚欠にして上にある故に驚き怖れることあり。
一、また、歩行する者を見るに、常人 多くは上ずりなるが故に、頭をつり合って歩行し、あるいは五体をもみて歩く、
善く歩行する者は腰より上は動くことなく、足をもって歩行するが故に、体 静かにして臓腑をもむことなく、形疲れざるものなり、駕輿丁(貴人の輿をかつぐ人)の歩行するを見て知るべし、
剣戟(武器)をとって行く者、気濁りて片寄る時は、足をもって行くことあたわず、頭につれて五体をもむときは形に損あり、気動いて心静かならず、
刀は右を先にし、槍は左を先にす、
立つ時に前足(すすむ足)を活かして立つものなり、
一切のことみな常に修すべし、路をゆきながらも、寝ても、人と対しても、工夫は成ることなり、
猿楽の太夫どもの足づかいを見るに、つま先を反らして進む、足を活かし踵(きびす・かかと)をふみて行く、これ身の風流ばかりにあらず、
進む足活きて、足を使うに自由なり、また気 我に返りて向こうへ洩(も)れること無し、
鞠(まり)を蹴る者の身使い足使いも同じ、上手の太夫の舞う所を後ろより突くに、つまづき倒れる事無し、これ気活して総身に充ち、下は定まっておもく、上は軽く動いて片寄る所なく、臍下(へその下)より呼吸して声を出すが故なり、
下手の舞う所へは、少し凝りてもつまづき倒れるものなり、これ下軽くして定まらず、気片寄りて生 活せず、胸より上にて呼吸し、上ずりに成って下 虚欠なる故なり、
また上手の謡物は、声を呂へ落とす時、臍下大いにふくれるものなり、これらのことは常に試みて知るべし、
故に人の歩行するに下軽く上ずりなる者は、早く疲れる者なり、これらの事に限らず、耳目の触る所に心を付けて試みる時は、天地の間の物みな工夫の種となり、天下我が師にあらずという事なし、我に主あってこれを求めるが故なり、
一切の事 我に求むる主(こころ)無きときは、人より与えることは無きものなり、
軍書に主人の供をして行くには、前後左右山川地利の益に心を付くべしといえり、いにしえの名将は田夫野人の所作を見て心付き、謀術の種として功を立てたる人多し、軍中には限るべからず、常に万事に心を付ければ、益を得ること多かるべし、頑空(外はかたくなで中身がない)なれば死人に同じ、得ることあれども取らず。
一、問う、軍学は謀計をもって人を欺くの術なり、この道に習熟せば 我が小知を助けて心術の害あらん歟(か)、
曰く、君子これを用いる時は国家治平の器となり、小人これを用いる時は己を害し人をそこなうの器となるべし、一切のことみな然り、
志し道に専らにして、私心の混じり無き時は、盗賊の術を学ぶというとも、盗賊を防ぐの益となって志しの害をなすことなし、
志し情欲利害に専らにして学ぶときは、聖賢の書といえども小知(浅慮)の助けとなるべし。
故にまず正道の志しを立て、これを変ぜずして後 万事を学ぶべし、
我に正道の主なくして軍術等を学わば功利の言を悦びて心ここに動き、小知(浅慮)の巧みを専らにして、これをもって士の道とするの誤りあるべし。
剣術を学ぶ者もこの藝に熟して、これをもって辻斬り強盗をなして男道なりと思わば、藝術かえって身の害を招くべし、これ藝術の罪にはあらず、志しの違えるなり、
熊坂と弁慶と同じ打ち物(刀鎗)の達者、勇謀兼ね備えたる大剛の者なり、
(しかし)弁慶はこれを用いて忠義を為し、熊坂はこれを用いて盗賊を為す、
故に謀計は士道にあらず、これを用いて軍忠を為すを士道とす。
加州安宅の関にて、弁慶が杖をもって義経を打ちたるは忠にはあらず、
(しかし)君の難を救いたるを忠とす、迹をもって論じ事をもって論じるは不智なり、(事実だけで判断するのは浅はかである)
それ軍法は人数をたてて備えを設け、敵のために我が陣を破られず、奇兵を用い謀をもって敵を破るの術なり、
邪をもって正に敵する者は賊なり、
(しかし)備えを設けて謀を用いず、無法に戦って敵の謀に陥り、賊のために我が忠義の士を傷つけて可ならんや、
我れ謀術を知るときには、あらかじめその備えを設けて謀に陥らず、
その術を知らざる時は敵の虜となる、
これを知らずして可ならんや(よいであろうか、よいはずがない)、
謀(はかりごと)はその術多端なりといえども、畢竟(要するに)人情に応じて用をなすものなり、人情に応ぜざるの謀は、その術を知るといえども用をなさず、
医師の多く書を読み薬方を知りたれども、その病の因って起こる所を知らず、みだりに薬を施してかえって他の病を引き出すがごとし、
人情を知ることは将の知にあり、
将 信あり義あり仁あるにあらざれば、人情和せざるものなり、人情服せざる時は、その謀かえって禍いとなること古今明白なり、
医師のみだりに薬を施して他の病の引き出すがごとし、
敵暴(非道)にして我れに道(道理)あらば、人情の服するところ金鉄のごとし、敵の謀なんぞ恐れるに足らん、敵 道(道理)あって我が軍の人情服せんば、我れ謀を用いる所なし、
故に将は人情を得るをもって要とす。
今士の学ぶ所は名将謀術の迹(あと)のみ、これ古人の糟粕(滋味を取り去った残り)なり、その糟粕を学で精汁を練り出すは、その将の量(器量)なり、
匹夫 その事をならってその事の中より、時に当たるの働きを為す者は士の量(器量)なり、
物頭、物奉行、斥候、使番みなそれぞれの事(わざ)あり、前備、脇備、しまり備、遊軍みなそれぞれの法あり、槍前、槍下、崩れ際の働き、みな知らずして叶わざることなり、あるいは城を攻め城を守り、伏奸、夜討、夜込等、軍は少しの誤りにて大崩れになること多し、各々その事(わざ)を知らずしてその場へ向かうは、水練を知らずして大河を渡らんとするよりも甚だし。
一、問う、我が謀をもって敵を欺かんとせば、敵もまた謀をもって我れを欺くべし、豈(どうして)我れ一人知ることあって天下みな愚ならんや、
曰く、然り、汝の言う所は押形の一通なり、
碁将棋の手の古来よりならいありて、その理を尽くしてこのほかに余術なきがごとしといえども、またその上の上手出来ることあり、
碁の定石にならい、将棋の駒組詰め物等をならうは、その押形を学ぶなり、
我れに自得する時は、その中より別に新しき手湧き出て勝負を決するなり、
すべて世間一切の事みな押形のごとく成ることばかりは無きものなり、
謀もまたかくの如し、将の器量によって古人の押形より、臨機応変の働き奇兵の謀術は、その時に当たりて将の胸臆(むねの奥)により湧き出るものなり、
いにしえの良将は漁樵賤夫(漁夫やきこりなど低い身分の者)の仕業を見て直に取って新しき術となし、軍中に用いたること多し、
常に心を付けるときは、見ること聞くことみな謀術の助けとなるものなり、
然れどもまず古人の押形を知らざれば、後学のよるべき所無し、
学術もまた然り、古人の迹によらざればその跡なき道を悟ることあたわず、
一切の事みな常に心を用いて耳目の触れる所をもって修行の種とし、事ある時はその時の変に任すべし、
また軍中は敵味方とも大勢なれば、独り働きのごとく自由は成りがたきものなり、常に古人の跡を考えて法を出し、士卒を練り、駆け引きの自在なるように備えを立てるをもって要とす。
吾人 父祖の陰徳(陰でほどこされた恩徳)によって今日身に福有りといえども、一念わずかに違う時は、それより種々の妄心生じてついに天狗界に入り、父祖の陰徳を削り、身に禍いあること矢よりもはやし、
汝等おそれ慎むべし、天狗界というは己が小知に慢じて人を侮り人の騒動するをよろこび、これをもって是非得失の境をなして無事を楽しむことを知らず、欲する所を心として己を省みることなし、ただ己に従う者を是とし、己に従わざる者を非とす、
世間の是非を我が我執のしがらみにとどめて、彼をにくみ これを愛し あるいは怒りあるいはくるしむで、常に心の静かなること無し、
これを佛家に 一日に三度熱湯を飲んで総身より火焔(ほのお)を生ずという、この煩熱(身をわずらわす大熱)の苦しみより種々転動して邪を為し人をそこなう、
汝等よく心を修し気を収め、魔界を去り人間に出て道を求むべし、汝等鼻長く、くちばしあり、羽根有るをもって、人に勝れりと思って愚人をたぶらかす、汝の長き鼻とがれるくちばし軽き羽根は、かえって心を苦しめ人をそこなうの器なり、
学問剣術ともにただ己を知るをもって専ら務めとす、
己を知るときは内明らかにしてよく慎む、ゆえに来て我れに敵すべき者なし、
たとい知足らずして過ちありとも、我が罪にあらず、天に任するのみ、
己を知らざる者は人を知らず、
私心をもって人を欺き勝ちを取らんと欲する者をば、人その私心の虚を討つ、
欲をもって人を襲うものをば、人その欲を動かしてその動の虚を討つ、
勢いをもって人を圧するものをば、人その勢いの衰える所を討つ、
学術剣術みな同じ、
ただ己を尽くして無欲なる者を討つべきの虚なし、
勢いをもっても挫くべからず、
欲をもっても動くべからず、
巧みをもっても欺くべからず、
吾これを思って常に慎むといえども、凡情いまだ断ぜず、ただ熱湯を飲むことを少しく免れるのみ、なお天狗に列にあり、いずれの日か人間に出て道を悟らん、しばらく我が聞くところをもって汝に示すのみ
といいおわりて、草木震動し山鳴り谷応え、風起こって面をうつと見て夢さめぬ、山と見えしは屏風にてありし、寝所に遽々然として臥したり。
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