根岸信五郎は神道無念流第六代で、有心館を起こした明治の剣道界の重鎮であり、中山博道の師でもあります。神道無念流は幕末の三大流派の一つであった練兵館・齋藤弥九朗の流派で、根岸信五郎はその跡を継いだ俊英です。剣道の稽古に対する心構え、技、気合いなどが分かりやすい言葉で詳細に語られています。幼い頃教わった柿本先生のお話で千葉栄次郎(千葉周作の二代目)との試合のことなど、興味の湧く話もあります。
剣道講話
(故根岸信五郎先生述)
剣道大意
ようよう剣道と申すものは、外形においては身体を鍛え、筋骨を発育せしむるいわゆる体育の一方法であります。それと同時に他の一面においては、精神の鍛錬をなして、もって忠君愛国の誠心、万国無比の大和魂をつくるものであることは申すまでもありません。されば剣道は武術をもって人に勝つことを専らとするものではなく、死生の間にたってよく機宜を失わず、大山前に崩れ、巨濤後へまわるも、泰然自若として動かざるの精神を養うものであります。故に深遠の理を究め、技の妙用を学ばねば大成を期しがたきはずのものであります。かく申せば、それならば剣道は理より入るもの即ち智育に属するものである。智育に属するものはこれを究めるにもまた自ずからその道がある。必ずしも剣術に依るべきでものではないという見解を下す者があるかもしれません。しかしながらこれは一をもってその二を知らぬ者であります。なんとなれば、いかに深遠の理を究めたりとて、業これに伴わざれば何らの妙用も為し難く、業を学べば理したがって生じ、両々相まって精神の修養となり、身体の鍛錬となるが故であります。剣術と申すものは剣道の外形であって、その実は修身道徳の学問の捷径(はやみち)と申してもよろしいかと考えます。しかして平常の稽古は、とりも直さず修身道徳と申すべきでありますから、礼節を重んじ、謙譲を尊び、心を正しうし体をととのえ、一進一退死生の境に出入りして、精神の修養をなすのであります。
修身道徳のことは申すに及ばず、精神を養うとか、死生の理を究めるとかいうことを、理屈の上から教えるのは、儒教の国たる支那印度のほうが我が国より優れておりましょうが、今日その国の有り様はどうでありますか、我が国においては剣道をもって国民の身体を発育せしめ、精神を鍛錬せしめたる結果、万代不易にして今日の隆盛を見ることと考えます。したがって今般正課に加えられたのもその筋においてこの辺に留意せられたものと思われます。
剣道の理と術とは唇歯輔車の関係にあり、また鳥の両翼のごとく離るべからざるものでありますから、理術ともに達し心身の錬磨円熟するにおいて、初めてその道を得るに近しと申すべきであります。しかも術というものは、その末の技でありまして、その本はと申せば精神の鍛錬にあるのでありますから、たとえ術に達するも真に精神を修め得ざる者は剣道の奥に達したる者とはいい難きことと考えます。なお詳しくは理術の項にてお話いたします。
既にお話しいたしました通り剣道は智育 徳育 体育の三箇の要義を得るものであります。今これを詳しくお話しいたしますれば技術上の変化応用は体育、進退挙止の礼譲は徳育、精神の鍛錬は智育であります。まず礼譲のことをお話しいたさんに、目下剣術試合を見るに礼節ということ乏しくなり、威儀厳然と傲慢不遜とを取り違え、肩を聳かし(そびやかし)肘を張り眼をいからし、濶歩して人を人ともせざるの風をもって剣術の礼と心得ている輩あるやに見えますが、これは大なる誤りであります。もとより礼は心を現すものでありますから、威儀を正しくするは必要なことでありますけれども、傲慢不遜は甚だ忌むべきことであります。これを実例にて申さば剣術の教えに敵を眼下に見下せということがあります。これを早合点して敵の何人(なんびと)たるを見ず、何人の何の位たるを顧みず、何の慮る(おもわんばかる)所なく直ちに弱者と見下すのであります。人には各々長所があり短所がありまして、先輩といえども短所無きにしもあらず、後輩といえども長所無きにしもあらず また寸も長き所あり尺も短き所ありなどということあるに、ただただ己の長所のみを知って人を重んぜざるは傲慢にして、とりも直さず人に対するの礼を失うの甚だしきもの、畢竟(要するに)心中に遜譲の徳が欠けているに職由する(由来する)のであります。これは無形の礼でありますが、有形のことは申すまでもなく、既に諸君が日夕実地において見聞せられ顰蹙(ひんしゅく)せられつつあることと考えます。
それなみならず惰弱怯惰(怠けて弱い)に流れ、克己忍耐の力に乏しきは残念のことであります。目下の武術講習の有様は、昔日に比して甚だしき相違があります。それは時勢のしからしむる所かもしれませんが、既に武術を講習する以上は、修行の道において今昔の相違あるべき筈のものではありません。当今 生理や衛生の進歩せるにかかわらず、剣術において頭部を打撃すれば脳髄の細胞を破損するとか、その作用を遅鈍ならしむるとか称え(となえ)、野蛮の所行であるなどと申します、またあるいは極寒酷暑の際に過激の運動をなすは身体に害あり、牛馬の類などと軽蔑する者もあります。が これは剣道の理術の中に忍耐克己という教えのあることを知らぬ者と考えます。もとより剣道においても、衛生を重んじぬということはありませんが、俗に病は気からということもあるごとく、常に筋骨を鍛え内に勇気充満すれば、邪気の乗ずべき余地はないのであります。これを知らずして皮相の観をもって剣道をかれこれというは実に嗤う(わらう)べきことで、寒暑の稽古のごときは、忍耐克己の美徳を養うにおいて非常の効果を見るのであります。もっともこの寒暑三十日の稽古を励みました所で、その時にわかに著しき進歩を見るという訳には参らぬものであります、あたかも草木が霜雪を凌ぎ春陽に逢うて、初めて芽を出し花を開くように、後に至り寒暑の稽古の効果は現れてくるものであります。この極寒酷暑の困苦に耐えて稽古するというのはその人が既に熱心で、あくまでも稽古を上達せしめんとするのでありますから、その効果も常より一層優れて現れます。ゆえに教授の任に当たられる諸君は、その気の集まり来る好機を利用して、生徒の稽古を上達せしめねばなりません。それには平常よりも面数を多く遣わせねばならぬ、また皆勤せしめねばならぬ。皆勤せしむるには万事に注意して故障の起こらぬようにせねばならぬことは勿論でありますが、就中衛生上の注意がもっとも肝要であります。例えば初めは皆勤するつもりであっても、中途に至って感冒にかかるとか、胃腸を害するとか、稽古場において怪我をするとか、その他種々の故障を生じて、当初の希望を満たすことができなくなります。これらの多くは不注意より生ずるので、稽古をすれば空腹になるから食が進む、過食すればたちまち胃腸を害す、稽古をなしている時と止めて後暫時の間は身体温暖なれども、稽古着のまま寒さを感じるまで着物を着ずにいれば、たちまち感冒にかかる、その他稽古場をはじめ、道具竹刀の損所などあれば、思わぬ怪我をするというようなもので、要するに寒暑稽古する覚悟が足らぬゆえ、始終一貫することが出来ぬと考えます。その覚悟と申すは稽古に熱心であるべきはもとよりのこと、すべてに心を配り注意をすることが最も肝要な儀であります。
私共が専ら修行致しました時代には、朝未明より稽古を始め、暁にいたって空腹になった頃柔らかき粥を食べて、また十時頃まで遣ったものでありますが、十中の九までは寒暑とも、無事に貫けたものであります。当今の人は寒気に恐れて耳覆いを掛け、手袋を入れ、足袋を二足も重ね、毛皮の中に首を縮めて居るなど意気地無き限りで、かくのごとき惰弱者が何事を為し得ましょうぞ、見るたびに嘔気(はきけ)を催します。剣道をもって鍛えたる心身は、寒暑のごときはいうまでもなく、忍耐克己よく国家の大事に任ずるに足るものであります、是非奮発しなければなりません。
さて剣道は古えより伝え来ったものでありますが、これを完全に書き現したものはありません。しかしながら剣道とて書き現すことの出来ぬものではありますまいが、なにぶんにも理論の深遠と技術の玄妙とによって精神の修養を主とするものでありますから、書物のみに依っては完全にその真義を伝えることは出来難いのであります。かくのごとく理術 相待たなければ真義を伝え難き所から、いわゆる以心伝心または口伝口授として、専ら伝えられてある次第であります。しかして剣道の理論については、古来の名人各々その見るところ考える所異にするによって諸流派を生じたるゆえんとなるのであります。
なお また、剣道は武士道に基づくことは申すまでもなく、むしろ武士道の別名と言ってもよろしかろうと存じます。ゆえに剣道を学ぶ人は常に心を武士道に置き、まず心身ともに正しきを期せねばならぬことであります、即ち心広ければ体胖か(ゆたか)なりで、心正しからざれば姿勢もしたがってととのわず、また姿勢がととのわざれば心も正しきを得ぬのでありますから、常に正しき心をもって正しき動作をなしてはじめて精神の修養となり、身体の健康ともなるのであります、かく相並行するにおいてはただに剣道のみならず、世上の何事に当たっても、驚かず動ぜず、泰然自若として変化極まりなく、応用自在なるべく、やがてこれを剣道というのであります。
前に一寸お話し致しました武士道と申すことについては、古今学者間に研究もせられてありますから、これはその向きの学者にお譲り致しまして、私はただただ武士道という言葉は武士があってはじめて出来たものではなく、わが日本人が先天的に有する一種の特性を現した語にほかならぬと思います。神道明弁に神代の人道は人代の神道であると申してありますごとく、私共の研究する剣道は即ち我が国の人道であると存じます。これより進んで理論の各項に入る前にまず斯道において使用する唯一の武器たる剣即ち刀および これになぞらえたる竹刀について一通りお話しをいたします。ことさらに申すまでもなく、剣は三種の神器の一にして熱田神宮にまつり奉るは草薙の神剣であります、また垂仁帝は刀剣弓矢をもって天下の神祀を祭り給い、成務帝は兵器を授けて地方官の信表と為し給い、その他出征の将軍に節刀を賜るなど、さすがに武をもってはじめ武をもって治め給う御国であるから、刀剣の尊重せらるること実に一通りならぬ次第であります、されば刀剣の取扱いは勿論のこと、これになぞらえたる竹刀の取扱いにも十分の注意をなし、決して粗略あるべからざることは、苟くも(いやしくも)斯道に従事する者の須臾(少しの間)も忘れてはならぬ筈であります。甚だ卑近の例ではありますが、昔封建時代にありて士族の刀を尊重いたしましたことは、今日において実に想像も付かぬことであります。それとて未だ五十年とも過ぎざるに世の変遷の速やかなるは、私共老人の驚嘆する所であります。ようよう刀は武士の魂と申してこれを尊重し、寸時もこれを遠ざけることなく、寝るにも枕元に必ず一刀を置きました。また外出の時は大小二刀を腰に帯び、貴人に拝謁する時のほかは常にその一刀を放しません。斯様な風でありましたがゆえに、もしたまたま下に置いた刀に自他を問わず、足部でも僅かなりとも触れる時は、必ず正座してこれを拝し、あるいは取り上げてこれを戴くを礼と致しておりました。私共が子供の時は、随分たびたび父兄のお目玉を頂戴した覚えがあります。したがってこの時代には刀剣に代わる所の竹刀も、誰も粗末に取り扱う者はありませんでした。今日といえども刀剣の尊重すべきことに変わりはありませんから、剣道を志す人は竹刀も刀剣の代わりであるということを忘却せずして、これが取扱いの粗末にならぬよう注意ありたきことに存じます。
話が少しく側道(わきみち)に入るようではありますが、刀剣を大切に致したことにつき なお一言申します。旧藩政時代は諸藩におきましても、定めし刀剣の事について色々の間違いから壮烈なる事もしくは悲惨なる事も数々ありしことと存じますが、私の旧藩長岡などにも稀に事故が起こりましたので、若年の頃先輩より随分話を聞きました。今その事柄の一、二を申しますれば、五節句と申すような時は、士分が残らず登城して薄暗き一室に皆々刀を置きまするので なかなか混雑致します。ある時甲が誤って自身の刀と乙の刀とを取り違えて、そのまま退城いたしました。この時家老重役の評議がなかなか難しくなりまして、結局甲は若隠居の上お叱りを蒙り、蟄居閉門という罰を受けました。またある時は他の刀を踏んで相手と争論を致し、引くに引かれぬ場合に立ち至り、双方抜き合い即ち真剣勝負を致し、一人はその場にて斬り殺され、他の一人はのち切腹を命ぜられて相果てたることがありました。今日考えましては言語道断何とも申し様なき次第でありますが、さりながらその時分では当然のことで、唯々免れ難き非運と申すよりほかはなかったのであります。
刀剣を尊重いたしましたることは右様(前術)の次第であるのみならず、これを鍛えるについてもなかなか厳かな儀式の立ったもので、まず斎舎を設け、周囲に注連(しめ)を張り、不浄の者の入るを禁ずるという板札を建てまして、鍛冶士と向鎚になる者とは十七日間の潔斎を致し、烏帽子狩衣(えぼしかりぎぬ)を着し、鍛造に取り掛かり、眼には不浄を見ず、耳に不浄を聞かず、精神の篭もる所凝っていわゆる光芒電閃 夏なお寒きの名刀が出来上がるのであります。なお焼刃を入れるにも必ず日の出前を選んだもので、非常の苦心と注意を払うて鍛造するものと聞き及んで居ります。余談ながらかくのごとく大切に取り扱われるものであるということをご参考までにお話しておきます。
以上述べ来ましたるごとく、刀剣は尊きものである、竹刀は粗略にならぬものであるということを生徒の脳裏にしみ込むようご指導あるが剣道の本義でもあり、且つ技術進歩の上にとっても有効かと考えます。また諸君においても常にこの所を実践せられたならば大に益せられる所があるかと考えます。
また当今の試合を見るに平打(ひらうち)峰打(みねうち)が多いようであります。これは畢竟(要するに)竹刀の柄が丸いものであるから、自然に手の内で廻るのに心付かぬため、その心付かぬのは 形というもので手の内を堅めていないためであると存じます。即ち刀という実物をもって修行しておらぬから、唯々竹刀とも刀とも思わず、棒きれを持つと同様であるによってこの弊を生じます。刀を持つという心持ちを離れずにいれば 平打峰打などはしようと思っても出来るものではありません。この心あってこそ太刀筋も自然にととのうのであります。太刀筋の無い稽古の見苦しきは諸君もよくご存知と信じます。
姿勢
これより姿勢についてお話をいたします。剣道の理を形に現せば術となり、その術を為しているものは姿勢であります。これを家屋の建築にたとえてみれば 設計は理で、築造は術であります。而して築造において最も大切なるものは 基礎すなわち土台であるがごとくに、術においても最も大切なるは姿勢であります。いかなる名匠の建築したる家屋でも砂の上には存立し難いのと同じく、姿勢が正しくなければ真の術を生じません、よって業前のお話をするに先だって、土台たるべき姿勢のお話を致すのであります、而してこれは何流何派などと固執して論争したる弊風を脱し、六十余年の経験上実地に適応して最も道理に合う所をお話致しますから、そのおつもりでお聞き取りを願います。
姿勢は体容でありますから手足の一致の動作が第一であります、而してこれには竹刀の長短の関係もありますから、まず竹刀の長短および手の備えをお話し致します。この竹刀の長短は旧幕時代においては各流各派各人思い思いにこれを定めておりまして一般に定まった寸尺はありませんでした。しかるに幕末に至りまして各流各派の諸先生が講武所へ集会して竹刀の寸尺を一定することを評議致しました。その時種々なる論争もありましたが結局三尺八寸という長さに決定いたしました。もっともこの三八の竹刀につきましても、実地に適応さぬものであるという論もありましたが、常に長物すなわち捌き難いものを使用せしめこれを錬磨せしめておいては、自然業前に延を生じてその進歩に利益有り、真剣の場合には容易に自得の技術を発揮し得るという説が勝って、三八と確定した次第であります。而してこの三八の竹刀の柄の長さはと申すと、これは寸尺をもって定めることはできません。私はこの柄の長さを使用者の骨格に比例し、業の捌き方に考えて各人に適用すべき寸法を定めました、まず使用者その人の四握(握り四つ)と食指(人差指)、中指を並べたる長さをもって柄の長さとするのが適当であります、その理由は身体上のお話しを致しますると明らかになります。
さて骨格の寸法を申せば大約左のごとき一致を見るのであります。
一、四握
一、足の長さ二つ
一、胸幅
一、小腕
この四つの寸法が大約各人各個において同一の長さでありますから、竹刀の柄の長さを右の寸尺と同一の長さと定めて無理をしりぞけた訳であります。その理由は二足の長さ、胸幅、小腕等の長さに超過したる柄にては業を出すに当たって自然の動きに出ずることが出来ません。なんとなれば己の骨格よりも長きがゆえに自ずから柄が骨格の外に出でて捌きにくくなり したがって無理を生ずるに至るためであります。これに反して柄の長さが骨格に適当しておれば骨格の内側において捌きを付けて働くことを得 容易に業を出し自然を保つことを得るのであります。
右の次第ですでに竹刀の長さ その柄の長さ、骨格各部の寸法、柄と骨格との関係、骨格各部の関係等を明らかに致しましたが、その関係の帰着するところの姿勢はこれもまた やはり自然にして無理のない所でなければなりません。まず『足の踏方』を申さば 上段、中段、下段の場合 足は右足を前方に踏み出す、その距離は左足の爪先より右足の踵までが、各自の足の長さに等しきを適当と致します。また手は右手にて竹刀の鍔元を握り、左手にて柄頭(つかがしら)を握る、その右手は下筋にあたかも鶏卵を握るがごとく和やかに持ち、その左手は上筋に薬指と小指に力を入れて持つようにするのであります、この持ち方について古い歌があります。
柄(つか)の持様手の内
右をさき左をあとにやんわりと 手ぬぐいしぼる心にてもて
さて両手はかくのごとく致しまして、左腕を少しく屈し、柄頭はへそ下の辺りにおいて腹部より約一寸程前へ離して竹刀を支持し、右方半身の姿勢を為します。ゆえに敵は正面には我が半身を見るのであります。これで竹刀と四肢身体一致して姿勢に無理なき自然を得、すなわち完全なる土台を作り得たのであります。したがってこれに基づいて発生するところの業前もまた無理なき自然をを得る訳であります。
業前
業前のお話しを致すべき順序となりましたが、これは既に高野氏その他の諸氏において実地について教授しておられることでありますから、、充分ご勉強ご修行になるよう希望いたします。
然からば私は専ら試合について必要なる心得をお話しいたします。すべて試合においてはまず気をもって敵を圧するの概がなければならぬことであります。この気と申すは確乎不抜の自信より湧出する真正の勇気のことでありまして、それと鍛錬により得たる妙技とが合すれば真正なる勢力となります。虚勢ではありません、虚勢は到底成功するものではありません。而してこの勢力をもって活躍せんには機を見るに敏捷でなければならぬ、ひとたび機を逸するは悔いるも及ばずで、いかなる勢力といえども施す所がなくなります。故に遅疑逡巡(迷ってためらう)して決断の鈍るは実に剣道において大いに忌むべきであります。
機を逸して敗を招くは畢竟(要するに)自己を信ずるの薄きより致す所の禍で、古き歌にも、
切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏みこみ行けば後は極楽
また菅公の詠(うた)に
思いきる心の中の剣だに あらば浮世のつなもものかは
(浮き世の綱:俗世に心を寄せる心情 ものかは:たいしたものではない)
とあります。この二つの歌は剣術のみの教えではなく、世間ありとあらゆる総ての事について決断と、邁進の肝要なることを道破したものと思われます。剣術を修行する者は寸時もこの心を離れてはならぬことであります。
総て勝利は気勢にあるので、その勢と申すは嵎を負う(ぐうをおう:時機をうかがっている)猛虎の一声高く吼えてまさに勇躍せんとする時のごときものであります。また、勢に乗ずると申すは高い所から油断無く眼を配っていて、ある機を見たならばその瞬間に決断してこれに応ずるものであります。故に剣道にはもっとも必要なることでありますが、ただ無我夢中で飛び込んで行くのは甚だ困ります。必ず周到なる用意と綿密なる注意とをもってすることが大切であります。自分ばかりえらいように思って人を人ともせず侮るのは大なる間違いで、大不覚を取るのもとであります。君子は威徳ありて容貌愚なるが如しといい、また達人は隙を見せるということもあります、愚なる容貌と見て嘲笑してかえって己が憫笑せられるような場合に至ることもありましょう、またこの隙と見て深き慮りもなく打ち込めば大失敗を招くのであります。即ち狼穽(ろうせい・狼を捕らえる落とし穴)に自ら飛び込むのであるから、実に慎まねばなりません。
右お話し致しましたる如く無謀は甚だ取らざる所であります。それでまず己を知るのが大切であります。己を知る者はまた他を知るの明があって他の技量も見えるから疑うところがない、疑うところが無いから勇往邁進して易々と成し遂げることができるので、これみな自信から来る所の決断によるのであります。而してこの決断によって行うところの技量は手足身の一致を要すること勿論で、この三者の一を欠きたる打ち方は本筋ではありません、したがって実地に取っては全く価値無きのみならず敗を取るもととなるが故に、手足身の一致は常に業前において錬磨することが最大要件であります。
身は軽く心静かに迷わずば
敵の勝気のうちに勝あり
ひたすらに勝を思わば身を衛(まも)れ
おのづからもる賤(しづ)が家の月
間合、掛引、撫(なやす)
これより間合(まあい)、掛引(かけひき)、撫(なやす)ということについてお話し申します。敵と相対する第一着の構えは『不敗の位』に立ちます、この不敗の位は大切なる場合でありまして一足踏み込んでも未だ届かぬ所に居るのであります。而して正に進まんか はたまた奇にて行かんかいずれに処すべきかという実に大切なる場合であります。奇と申すは電光石火一躍して真っ向に面または小手等を打ち込むか、あるいは体を崩して飛び込みひざまづいて胴を切る等をいい、正とは正々堂々として勝ちという所をよくわきまえて、『水エン刀の位』(水エンは水が満ちている様)に移るのであります、この不敗の位より水エン刀の位に移るのが立ち合いにおいての正規であります。さて水エン刀と申すは彼我の切先と切先が斜めに十字形を為すものであります。これは真に危ない所 あたかも水を茶碗に入れて刀の上に置くがごとき思いをなすので、ややとすれば水がこぼれる 即ち打つか打たれるかの境で気の満ちたる大切な所をいうのであります。不敗の位も水エン刀の位もみな間合でありますが、これよりして千差万別の間合となるのであります。而して種々なる間合の間においてまた掛引ということがあります。また掛引には実体、量体、虚体、象体、化体、連体、影体、その他なお数多の体がありますが、その諸体変化の間においてまた敵を『激す』『撫す』等の術数があります。この撫すと申すは業において種々有りますが、敵の鋭鋒に対して逆らわず、風に柳と受け、あるいは猛烈なる刺撃に向かって和やかに一歩を譲る等、なお簡単に申せば、柔よく剛を制するの意味であります。而して間合も掛引も撫すも一々言語をもって現すことはできません。要するにこれらのことは工夫が肝要なので、剣術もこの辺に至りましては自然の自覚でありますから、諸君の御力に応じて、各自実地にご会得あることと存じます。
工夫の肝要なることについて格好の実例がありますからお話し致します。越後の新発田旧溝口藩の剣士に柿本清吉と申す先生がありました。この柿本先生は本所に剣術道場を開いておられた旧幕臣男谷先生(直心影流 男谷道場)に師事し、斯道の蘊奥(奥義)をきわめられたお方であります。私が十歳か十一歳の頃はしばしばお稽古を願いましたが、なにぶん先生がお強いのと、私がまだ子供のことでありますので、お稽古を願うのが嫌で嫌でたまらなかったものでありました。その後打ち絶えて御等閑に過ぎました所、私が十七、八歳の頃先生が御来訪くだされて、四方山のお物語でありました。その時私は先生がこれまで剣術をお遣いになりましたうちで、誰が最も斯道に勝れた人とのお感じがありましたかとお尋ね致しました所、先生のお答えには千葉栄次郎先生(玄武館 千葉周作の二代目)には敬服のほかはないとのことでありました。よってその訳を伺いました所、先生のお答えには、かく申すと自負のようで甚だ恥じ入る次第であるが、その当時拙者は剣術を相応に遣ったもので、世間でも兎や角と言ってくれるので、少々自分天狗になっていたのであるから、千葉先生とて恐れるに足らずなどと、今考えてみるも空恐ろしきような心持ちがあるが、その時は血気にはやりて何等の思慮もなく、千葉先生に試合を願ったことがある。而して初本は見事に面を打ち、二本目は多少の変化があって出頭(でがしら)の小手を打った。その時に拙者の胸中では、高名の千葉先生といえども、遣って見れば何ほどのこともないなどと内々軽蔑の心が生じたのである。また三本目に至って多少の変化と相打ちなどもあったが、放れ際の右胴を打って三本とも拙者の勝ちとなった。然るに千葉先生はそのまま道場に座り、しばらく首を傾けてお考えの様子であったが、やがてお考えがついたものと見え、今三本とのご所望である。拙者も快く承知を致して、再び三本試合を願うこととなったが、拙者の胸中では、この度もまた三本とも見事に打たんとの考えであった。さていよいよ立ち上がって試合となると、初本は見事に面を打たれ、二本目は多少の変化の末 出頭の小手を打たれた。ここにおいて拙者も少々驚いたのであるが、また三本目に至って多少の変化と相打ちなどもあって、放れ際の右胴を見事に打たれた。これで試合は終わったが、考えてみると、拙者が打った通り三本とも同じ間合、同じ打ち方によって負かされたのであった。自宅へ引き取って色々と考えてみたが、いかにしても不思議でならぬ、四、五日も考えたが、考えがつかぬので、またまた先生を訪ねて試合を願った所が、快くお引き受け下されてお稽古を願いました。この度は先生に充分遣いこなされたことである。ここにおいて先生の凡人ならぬことも分かったが、これらは名人というべき人であろうというお話しがありました。わずかに五分ばかりの工夫が同一の打ち方をするなどは到底思いもよらぬことの様であるが、この所が即ち名人たる所で、またこの心がけ即ち名人となりうる所でありましょう、いずれにしても工夫が肝要で、空の稽古は徒労であるから、数ばかり遣うてそれでよろしいとは申されぬのであります。
畢竟(要は)我が位置その宜しきを得れば空隙(すき)なく、したがって安全堅固であります。この安全堅固の備えあれば敵の欠点を看破してこれを突撃、追撃、逆撃するに進退自由であります。然ればこの間合の宜しきを得ると否やとは、既に勝敗のわかれる所でありますから、いかなる場合といえども間合に心を用い、敵を適当の位置に引き入れ、我が刺撃を便にするようにしなければなりません。而して大距離の間合にあってもその内に小距離の間合があり、また小距離の間合にあってもその内に大距離の間合のあることを忘れてはなりません。故に間合の遠近は我が心をもってこれを伸縮することができます。即ち間合遠きときは心を近きに置き、間合近き時は心を遠きに用いるのであります。
かくのごとく一進一退掛引を為すときに当たっては、下級の者なりとの侮慢があっては、大なる欠点を生じて、進撃も彼我地を転じ、見苦しき敗を招くようになりますから、充分注意して、規矩準縄(きくじゅんじょう・標準、法則)を誤らぬよう身をつつしみ、決して軽忽(浅慮、あなどる)にしてはならぬのであります。しかしながら気合、気位(気合、気位のことは後でお話しいたします)姿勢その他に心を取られて居付きという欠点が出来ますから、これもまた周到なる注意を要することであります。
止心
前章の終わりにおいてお話し致しました居付きということに関連して、而して一層意味の深き 止心すなわち心の止どまるということをお話し致します。この止心とは禅のほうでは住地煩悩と申すようでありますが剣道においても甚だ忌む所であります。沢庵禅師が柳生但馬守へ与え示されたる不動智神妙録の一節 無明住地煩悩の項に、
住地というは止まるの意義にて 止まるとは何事に付けてもその事に心の止どまるをいう 剣術の上にて申さば向うより斬る太刀を一目見てそのままそこに居止まり また向うより斬る拍子に合わせんと思えば向うの太刀にそのまま心が止まり 手前の働きがぬけて向うの人に斬られる等を止まるという 向うより打つ太刀を見るに 見ることは見れどもそれに心を止めず向うの打ち太刀の拍子に合わせて打つとも思わず思案分別にも渉らず振り上げる太刀を見るや否や心をそこに止めずしてそのまま付け入って向うの太刀に取りつかば 我を斬らんとする太刀を我が方におつ取って還って向うを斬る刀となるべきものなり
また 千手観音は手が千ありて弓を持ちたる手もあり 鉾を持ちたる手もあり 剣をもつ手もあり様々の手があるが もし弓を持つ手に心がとまりたれば残る九百九十九本の手はみな用に立つこと叶うまじ これに反して真正の千手観音は一つ所に心を止めぬが故に千の手が一つも欠けず用に立つということを人に示さんために仮に作りたる形である たとえば一本の木に向かってその内にある赤き葉一つを見ていれば余(ほか)の葉は見えぬなり 葉一つに目をかけずしてただ一本の木に何となく打ち向かい見れば 数々の葉が残らず見える道理なり 葉一つに心を止めればそれに心を捕らわれるなり(赤い葉云々の所肝要なり よくよく玩味すべし)
一つの所に心を止めぬという所を得心した人は千手千眼の観音力を得たのであると示されたのは いかにももっともなことに思われる。然れば居付くということは大いに気を付けねばならぬことであります。
なお一段高尚の所に至りますと金剛経に応無所住而生其心ということがあると剣道について承っておりますが、これ即ち前にお話し致した所の心にほかならざる意義と存じます。心に住地なくんば臨機応変の処置は随所において行われ 何ら不自由を感ぜぬ様に至るのは必然の理でありますが、意味深長のことでここに至りましては極意でありますから言うべくして実に行い難き極みであります。
気合
これより気合のことについてお話しをいたします。気合とは申すまでもなく心の働きでありまして無形でありますが故に、これを言葉に現すことは甚だ困難を感ずる所 否むしろ出来ぬことに申してよろしいのであります。もし強いて言い現さんとしてはかえって誤解を生ずるの恐れもありますから、諸君が平常において見聞せられる事を引いて例にとり かなり平易にお話しを致し、その間において、会得せられるように致したいと考えます。
気合は剣道においてもっとも重大なるもので崇高深遠とても腕力などとは比較になりません。陽気の発するところ金石また透るという語もありますがごとく、気合の充分みつる所いかなるものも厭倒せられざることなく、玄妙なる理術以上に超然として理解を支配し無念無想の中に感応の作用をなすものであります。故にこれを言説をもって伝える事が出来ず古来剣術相伝の場合は試合の際 阿吽の呼吸相合の刹那に与える一語をもって伝えたものであります。これをもってその無形であり 且つ得易からざるものであるということをお察しありたい、しかし不十分ながらも気合と申すことを平易に説きますならば、心に油断無く気が充足することと申してよろしいと思います。
大きく圧し重なった体で居る水 すなわち堰き止められているような水が栓を抜く瞬間凄まじき勢をもって迸出(ほうしゅつ・ほとばしりでる)するがごとく また太陽の光線を遮断したる暗室にありて壁に針の孔をうがちたらんには そのうがつ瞬間に光線は既に射照してその間実に一髪をいれるの余地も存しない、なおまた気圧が重くなって人に言いしれぬ鬱陶しさを感じせしむるがごとき、また荒木又右衛門が柳生但馬守より斬り付けられんとした時に神酒徳利の紙口をもって立ち向こうたが一点の隙もなく 為に但馬守は刀を納めて柳生流を許したるがごとき、加藤清正が朝鮮征伐の際 虎の猛り来たりたるに会して泰然不動の精神をもってこれを睨み伏せたるがごときは皆取ってもって剣術の気合と見るべきものであります。かのごとく敵をして窺うべき間隙を見いだしあたわしむるのは我が心に油断無くすなわち気合が我が領域に充実しているが故であります。
これ故に試合において敵手と相対し呼吸相合の場合、雨となるか はた風となるか測り知るべからざるとき 前にお話し致しましたる水エン刀の場合に当たりましては気合の充実すなわち心に油断のあると否やとによって勝敗の分かれる所となるのであります。然るに古今の斯道家がこの気合のことについて種々なる見解を下して、外面に現れる溌剌たる生気が気合であると申して居る者もあるようですが この見解に対しては是非の批評は致しません、私は前陳のごとき見解を有する者でありますからその考えをもってお聞き置きを願います。なお一言致しておきまするが 気合というものは何人も同一同等かと申すに決して左様ではありません、その人人の剣道上の位によって優劣の分かれるもので、その位に至ってその妙趣を感得し向上するものであります。
お話しが前後するようでありますが ここにちょっと虚実ということについて申しておきます。虚実と申しますと通例多くは業前にのみ属するように考えまして即ち小手と見せて胴を打ち、面と見せて小手を打ちまたはことさらに隙を見せ敵を誘致してこれを打つという風なものといいますが、これは未熟なる者の申すことであります。もしかくの如き事を虚実の本義と思い誤りましたならば 気合などということは全く会得したまわぬことになりまして敵に対する時不慮の失敗に陥るものでありますから かかる業は必ず慎まねばならぬのであります。そもそも虚実と申すものは一段高尚の域に到りますと単に外形のもの即ち業前にのみ属する末技ではなく、やはり心の働きに属する事で即ち心の働きが機に臨み時に応じて千変万化するその刹那に我が実は虚に化し、敵の虚が実に変ずる所にあって、いわゆる虚々実々玄妙不思議なので、かの如き彼我の虚実をして我に利あらしむるものは何でありましょうぞ、それが即ち気合でありまして無念無想の中に感応の作用をなすのであります、かかる域に達して始めて気合が有効となり またその妙趣を得たるものと申してよろしかろうと存じます。
右様の次第でありますが、もし気ばかり馳せて術がこれに伴わぬか、または術が気に伴わぬ場合にはいずれにしましても不覚を取るのでありますから気合と術とが相一致して、いわば一体となるのが肝要であります。馬術について申しましても騎射または駆をおう場合に、馬は非常の鋭気を出して一足飛びに空を行くが如く駆けましてもその乗り手の気合いかんによって馬と人とが合しもしくは離れるので、鞍上人無く鞍下馬無しというがごとく合体すればこそ馬も充分の力を出しうるのであります。これに反して人と馬とが一致せず即ち気合が乗らなければ術は拙劣となり不覚を取るのであります。また弓術においても同じ事で昔三十三間堂で弓術の達人が射術を致すのを見ますると、矢筈を取って悠々と引き 胸が次第に開いて張り裂くがごとく、弓手矢手の力連結して充分に引き絞り 気合と合体して放つその矢はすうと空気を切って矢勢の強きこと金鉄もとおらんばかりにて、距離およそ三分の一より矢は一層勢を増すがごとくに山形を描いて目的に達します。それと申すも他ではありません、気合と術が合体して矢追の労力を強くするからであります。さらに手近い事で申さば 吾々がなにか事故があって秒時を争って駆けますると気ばかり先に焦り足が進まず、これに反して駆けながら何か心に思案でもしますると、速力が減じます、これは畢竟(要するに)気と足が一致しないからであります、また山門にある筋骨たくましく厳めしく力みかえっている仁王の像は全く気合を外形に表示したるものと思われます。あのような気合が内に充実して居なければならぬのでありますが、さりとて仁王の外形をなぞらってかの如く力みかえって筋肉が隆起するようになりましたならば身体が凝り固まり不測の変に応じて電光石火の動作はおぼつかなきことと思います。故に気合というものは有形ではなく無形の働きでなければならぬのであります。
以上ひととおり気合のことをお話しは致しましたが、なにぶん無形のものであるからお解き難いと存じます。実はこれまでも人々から気合とはいかなることかと質問を受けましたことは度々ありましてつねに説明に困っておりましたが、ふとしたことより旭日章がもっともよくこの気合ということを形に現していると気付きました。ご承知の通り旭日章は中央に泰然不動円満充実の形を表しこれが周囲にくまなくその勢力たる光輝を発揮しております。これがすなわち最もよく気合を表示致したるものと申すべきであります。剣道における気合をもって申しますれば心気合致即ち中央にあるところの旭日は心でこれより発揮するところの光線は気であります、心の勢力であります、真剣の場合はいうに及ばずたとい試合の場合におきましても、心は中央の閑所にいて泰然不動でなければなりません。また心より発揮する所の勢力は間断なく筋骨皮膚等全身に満ち なお体外竹刀の先革に及ばねばなりません。古来剣道の教えでは心は不動自若にして油断無く気を指揮督励するを本分とするので、心の勢力すなわち気は身体の四方八方に行きわたり前後左右一、二間の空間はこれを我が城郭となし、敵をしてその間隙を窺うことをあたわざらしめるを肝要とすとあります、心気合致この域に達したる人を始めて気合を会得したる剣道の名人というべきものであろうと存じまして常にこのことを服用しております次第であります。
お話しが少しく余波に渉りまするが、気合の貴重なることは個人も集合団体も同一であると存じます。彼の世界古今の大戦たる日露戦争を回顧しますれば、国土の広狭人口の多寡は比較にならず、加えるに躯幹矮小にして腕力も彼に及ばず、兵器、軍資もあるいは彼のまさるにかかわらず、我が帝国の忠勇なる軍隊が心気を表示したる旭日章の連隊旗を押し立ててよくこれに則り、心気合致充分なる気合を発揮して連戦連勝国光を発揚したることは歓喜惜くあたわず、諸君とともにこれを慶し永く忘れるあたわざる所であります。
気位
これより気位に移ります。この気位と申すものも気合と同じく心の働きに属しまして、気合とは甚だ混同しやすい事柄でありますから、言語や文章をもって説明することの困難もまた気合と同様であります、しかし仮にこれを説明しますならば、気位とは我が前に立つものは魑魅魍魎もものかは(たいしたものではない)金鉄といえどもなお両断するの意気自信によって不屈、不暁、不疑、不惑の精神確立し外に現れて雄大尊厳なる威風を生じ、この威風が敵の心に映るところ即ち気位というのであります、これを解説すれば我が心を高きに据え、且つこれを寛弘にして敵の意中にいかなる術数策略あるもこれを機先に察知し臆せず迫らず恬然たる心持ちをいうのであります。語を変えていわば高丘に立って瞰下すれば一草一木も双眸の中に入り来たって隠影なく遁影なく遁形なきが如き 即ちこれが気位であります、而してこれを細説しますれば三つに分けて見ることができます。
一に曰く我が心をもって敵の心を塞ぐ、
二に曰く敵の惰気を撃つ、
三に曰く敵の惑を撃つ
この三つになります。
我が心をもって敵の心を塞ぐというのは、外形に現さずして我が精神をもって彼の策略を逆にくじくをいうので、かくの如くするときは敵手においては高き所を見上げるの意となり自然畏怖の心を生じますから たとえ無理に進撃してきても高きに登るがごとき心地を為し したがって呼吸迫って自在を失いついに我が手中のものとなるのであります、
敵の惰気を撃つというのは、両々相対したる場合 互いに強固なる守備を持するときは間隙はありません。この場合において劣等なる者は自然に惰気を生じます、その惰気に乗ずるのは即ち惰気を撃つといいます。
また敵の惑を撃つというのは我れ泰然自若凝らず偏らざる備えを為せば敵をして我が意思の奈辺にあるかを窺い知るあたわざらしめ、したがって自然疑惑恐怖の念を生ぜしむるものであります、これを撃つが即ち惑を撃つというのであります。
ここに一言申しおきますのは、前申しました自信ということは、自尊自重で、他面より見ますれば自負心と見られることもありまするが、この自信は自負心とは大いに意味が違いまするので、自負に至って剣道上最も忌むべきものでありますから、その辺にご留意ありたいのであります。
理と術
理と術と申すことは、前にも場合場合においていささかお話し致しました様でありますから ほぼお分かりになってあるものとも思われますが大切なることでもありますし 且つ順序としてここに改めて一応お話し致しておきます。
理と申すは剣道の原理のことで、術と申すは剣道の技術のことであります。
すべて何事によらず原則と実用とは相まって離れるべからざるものであります。即ち原則は実用を支配し実用は原則を実行するものでありますから原則が無ければ要領を得ることが出来ません様な次第で、また原則ばかりあっても実用がなければ効用は見られぬことになります。その原則を理といい、実用を術というのでありますから いかにしたらば敵を打ち止めて勝ち得るであろうか いかにしたら我が身を堅固に守って敗れを取らぬであろうか、また剣法四戒にいわゆる
驚きの念はいずれより来るか、
怖れの念はいずれより生ずるか、
惑いの念の原因は如何、
忍ぶの念の原因は如何
等のことを思慮分別して無形の剣法を研究するのが理であります、しかしながら理は無形のものでありますからこれを実際に試みなければ それが果たして誤り無き真実の理であるか否かを確かめることができません。そこで攻撃の方法、防御の手段を有形すなわち実際について研究し錬磨し、理の示す所を確かめ、理論の根拠を与えまたこれを実用するのが術であります、ゆえに術は有形に属して見易く入りやすくしかも至り難し、理は無形に属して悟り難し、古来斯道は理に通じ術に達し理術兼ね備わりて始めて達人とするのでありますから、斯道に志す以上はこの所に留意して努力しなければなりませぬ。
さてまた剣道を学ぶには理より入るか、術より入るか、いずれを先にするがよろしいかという問題は古今の斯道家各々意見を異にしておりまして あるいはまず理より入るをよしとする者と あるいは術を先にすべしと説く者とあります。その理より入るをよしという説は、およそ物事には原則がある 原則を知らずしていたずらに外形の術を学ぶも労して功なし、理より入るにしかずというのであります。
またその術を先にすべしという説に従えば、すべて無形の理は有形の術より生ずるものであるから 術を離れて理というものは無いので、理とは畢竟(要するに)術の中にある事である、故に術に熟練すればその理おのずから通ずるというのであります。この両説は一是一非 未だ定まったものとは見られませぬが、私はまず後説すなわち術より入るという説に従う者であります。その理由は 元来理というものは条理でありまして、条理は物にたとえて見まするとあたかも材木の木理(木目)の様なもので、材木があって始めて木理があり、材木が無かったならば何によって木理生じましょうか、また理は身体中の脈絡のようなもので、身体があって始めて脈絡があり、身体が無かったならば脈絡は何によって生じましょうか、有形の術は即ち木理の生ずる材木のごとく脈絡の生ずる身体のごとく、身体があって脈絡があり、材木があって木理が生ずると同じく術があって始めて理の現れるものであると思われます、故に術を先にして理を後ちにするという説に従うのでありまして、それによって実地教授を致してまいりました。しかしながら考えて見ますると私などの修行時代と違い今日は教育も進歩し人智も発達しておりますことでありますから 理術相まって教授するを近道と思います。
さて剣道の要は精神の鍛錬を主眼とし兼ねて業前を錬磨して斯道の徳、斯道の能を発揮することを須臾(寸刻)も忘れざるのであります。よく斯道の真意義を体して蘊奥(奥義)に達せられ 後進諸生の誘導にご尽力あらんことを希望いたします。
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