徳川家光の勘気にふれて致仕し、二十歳から十二年間にわたって稽古三昧の暮らしを送った十兵衛三厳の、兵法の工夫研究のまとめとして筆にあらわした処女作。この後有名な大著「月之抄」を書いています。十兵衛は柳生一門ではもっとも多く兵法書を残しているといわれますが、一番最初のこの「飛衛」は、父宗矩に一度は焼き捨ててしまえと叱られながら、沢庵禅師に校閲加筆を乞い、再提出してゆるされたものといわれます。ちなみにこの書は無題で、冒頭の文をとって「昔飛衛といふものあり」または「飛衛」と呼ばれます。
「昔飛衛といふ者あり」
柳生十兵衛三厳
宗矩公 一四四
昔飛衛という者あり。よく弓射る事を得たり。紀昌、射を学びんと乞う時に、飛衛が曰く、汝射を学びんと思わば先ずよく瞬(まばたき)を去る事を学ぶべし。よくし、学びえて後 我に云うべしとなり。
紀昌がこの瞬(まばたき)せざる事を二年学びしかば、目尻へ錐をうてども瞬(まじろ)かず。
さて 飛衛にかくと云いければ、飛衛また曰く、物の至りて(至って)小さきをすぐ大に見る術を学びて後 我に云うべしとあれば、紀昌一つの虱(しらみ)を髪の毛にてくくり、これを窓にかけて十日ばかり見ければ、蟹のごとく見ゆる。
三年かかる事をしければ、後 虱 車輪のごとく見えたり。その他の物は云うにおよばず、おおかたの物の小なるは丘や山などの様に紀昌が目には見えぬる。
かくてこの由をいいければ、飛衛その時射法を教えし程に、後、窓にかけし虱の真ん中射きって残りはなお窓にかかりて有りしという事あり。
物事をくわしく稽古せむ人は、まず、万(よろず)の道に、初学に入りて学ぶべき次第をよく窮め、習うべきにや。
又習うといえども身によく熟せざれば、口にいう事は違(たが)わざれども、その技をその身になすに及びては思いのままならず。
又、習いのままにする事はあれど、習いの外へふみ出て打つ打たれつする時は、習いの分限はみないくつともなく成りて、習いなき者にも打たれつなどして、言には似ぬよと人に嘲(あざけ)りをとる。
万の道は初心に立ちかえりてよく稽古するにあり。
弓射る者は的に中(あ)てむと思わずして、ただ身作りよく形をして、かつて定まりぬれば後は的にもよく中るとか。
太刀使うことも、身作りをよく掴みかためて、夜の寝覚めに突っ立ちて遣うとも身作り乱れぬならば、習いをすてて無手にたたきあえども、我が刀は人にあたるべし。人の刀は我にあたるべからず。
身作りかたまらずば、定まりたる手を遣う時はちがうべからず。習いをすてて飛びはね跳ね上がり、自身をせむ(為む)とせば、身作り皆乱れて、人に打たるべし。
その身作りよくかためむ事は、三学・九ヶなどいえる数の太刀を、明暮初心に成りて遣うべし。
笛吹事を教えし人に三年、音取り(曲の前の短い前奏曲、音合わせ) 一つ 吹かせしとなり。
次第よくかたまらずば、極意秘事向上の事を聞きたりとも、口にいう事はしからん(然からむ・如からむ?)、所作にはかたからん(固からむ・難からむ?)。
我が祖父 古但馬守宗厳 上泉武蔵守秀綱に従い此の道を相伝してより、その身一代深く修行して、心に得て是を手にする事、おそらくは、氷は水より成りて、水よりもすさまじき物歟。
老父(*柳生但馬守宗矩)その伝を継いで、若年よりこの道に心をつくし、太刀のみならず鑓長刀の類にいたるまで、兵道とさえいえば聞かずという事なし。一代その身に得てつかうまつる事、またおそらくは藍より出て藍よりも青き物歟。
しかも善き知識にまみえ、数々の古則話頭を参し、一つ一つ皆その旨を得ては、これをわが兵法の機前にあて、心の転所とす。故禅話とも数句を注し、これを兵法の道に引きなぞらえたる事多し。
一家の書を作りて子孫に伝むとてあつめ、上巻を殺人刀と名付け、下巻をば活人剣と名付く。この上下は唯授一子の書なりとてこれを秘す。
また進履橋と名付くる一巻は、おもてとする書にて、門弟たる人、この巻の内の目録共習い究めたる人に、この巻を書きて門弟之験の為に授るものなり。
この三巻に書き述べたるは、此の道の諸道、あるいは長もあるいは短も、おのれおのれの得たる道具たりとも、立相時に、太刀一つにて、兵法の心においては、はづるべからず。
無刀と云う事さえあれば、相手の持道具にはかかわらず、かかる秘伝ともみなつくせり。重畳せり(幾重にもかさなっている)。丁寧なり(細かいところまで行き届いてる)。上泉武蔵守より三代なり。
我れその流の末に生まれて身 器にあたゝす(徒たす)、修行 功薄し。この道について何をか云わむ。
愚夫 ゆえありて東公(徳川家光公)を退いて、素生の国に引き籠もぬれば、君の左右をはなれたてまつりて、世を心のままに逍遥(気ままにすごす)すべきは、礼儀も欠け、天道もいかがと存ずれば、めくるとし十二年は故郷を出ず。
何れの道にか心をいささかも なぐさめむ。そなれば、家とする道なれば、明くれ兵法の事を案じ、同名の飛衛披官(*被官・下級武士)の者ども、これらに打太刀させ所作をして見るに、身不自由にして思うままならぬ事のみなり。
うつりやすき年月の数積もり、とかう(兎角・あれこれ)しける程に、打ちは心の道に入るように覚えぬ。
ここにおいて思う事あり。兵法の習い数々ありといえども、遣う時はその数々を皆々一度に用としもなし。
たとえば、工(大工仕事)のあまた道具はあれど、つかう時は一つ一つならでは用いず。あまたの道具を二手に持ってつかう事なし。
しかりとてまた、数(あまた)の道具なくてもなるべきにあらず。
一つの すみかね という事ありて、これを目付として道具をも つかうたるものなり。
一つ手に錐・鋸・鑿・槌をあつめ持ってつかう物にあらず。用にあたりたる道具一つ見、見るところの縄墨は いつとても すてられざる事なり。
兵法も数々の習いはあれど、一つ一つの習いを一度に用いる事なし。
時にあたって用いる所はかわれども、一つの見之所は常に忘れずして、工の縄墨のごとし。
ここを以て数々の習いをよせて三段となして、その第一には見、その第二には機、その第三には躰(体)とす。
第一段 見
二星
色
十字手裏見
有無
空
捧心
第二段 機
就色[敵にある色なり]
随色[敵の色に我したがうなり]
起醒
二目遣
水月
表裏
機前
懸待
第三段 躰(体)
五ヶ
思無邪
神妙剣
去病
西江水
躰と心は一つ也。躰のなす所は心のなす所也。心をすてては、躰はたらかず、心と躰と一つなれば、所作違う事なし。
右
三段の内第一は、敵のはたらきを一筋に見るなり。
見るというも敵をこちらからはたらかせ、動かせて見たものなり。
然者(しかれば)、
敵を 動かする仕懸けは皆 我が機の仕懸けに依りて敵は動くなり。
動くを見る時は、見は機にあり。
ここをもって見れば、機におさめて機を管要とするなり。
然者(しかれば)、
第二の機に依りて敵の動きを見るに、
又見る所に心がとまれば 所作に負くる程に、
心の着を去り
諸病をさりきって心を無病に為し、
心躰ともに思無邪と観し、
神を神所にすえ、
神妙剣の位をただしくし、
心を西江水におさめて
第一、第二を一つになして、第三の躰へこめて
躰の内に また数々あれども 西江水一つになして、
西江水より機へ出て、機より見へ出て、
また見より機にかえり 躰にかえって、
出入り自由を得べし。
千手、万手、大機、大用などと云うも、皆ここより取って出たるものなり。
数々の習いを躰の所へこめて、また躰を西江水におとし入れて、
これを是極一刀と秘するなり。
この一刀は刃なくして よく物をきる。
この一刀をもって、はらりとすがるを一捨という。
悪を一捨して西江水一つに帰せば、この一つにや、又とまらん。
これによって ここを又一捨と心得るなり。
この一捨は西江水の一をも捨てると口伝すべし。
捨といえば捨にとまる程に、忘るると口伝すべし。
忘るるといえば、初心の人の習い得ざる道を忘るるに似たり。
至り至りての位なり。
また忘れんと思うたらば おかしき事なり。
覚よう覚ようとすれば、後に忘るるなり。
忘れんと思うたらば 得て忘れまいと心得べし。
古句に云う「三段不同 収 帰 上科」
今この兵法も三段なれども躰を上科とす。
躰と心とは一つなり。躰にある心なり。心によってはたらく躰なり。
見とはみるなり。みるは眼の能なり。眼は躰なり。
躰あれども死人は物を見ず。
ただ心あってみる程に 躰といえども心なり。
機というも躰をもってしたる物なり。
躰ありても死人は わざをなさず。心のなす わざなり。
然者(しかれば)
機と云うも心なり。
ここを以て心を上科とし、所作の本とす。この心を大事とす。
或る人或る人に問うていわく
至極の習いをつくして残す所無く、秘事秘伝をつくしたる人、
敵身方とも竹をふたつに わりたるごとくなる人の、
立相に勝つべき習いありや。
機をしかけるとも互いにのるまじ、
表裏のしかけも互いに知りたる道ならばのるまじ、
これを勝たむ事いかがぞや。
こたえて曰く、先立ちたる者勝つべし。
また我先立つ事を心にかけば、人も心にかくべし。
それ先立つ事 我にあらんか人にあらんかの事 不定なり。
決定して我に勝ちのあらん事 この習いありや。
こたえて云う、習いあり。
また同じくその習いをも人すでに知らば いかが勝つべき。
この問答ついにきわまらず。
ここにおいて我語っていわく、
彼の紀昌といいし者 飛衛に射法を伝って、天下に我に敵する者なし、飛衛さえ殺したらば、天下我一人なりと思い、これを殺さむとはかる。さるひろき野に行き相たり。
こここそ得たる所よとて、紀昌より引いて射る。また飛衛も互いに射るに、双方の矢中にあたり地に落ちて塵も動かず。然るに飛衛が矢つきたり、紀昌が矢は一筋残りたり。紀昌これを射るに、飛衛 棘のはりのとがりにて、ささえとめて矢は地に落ちたり。
ここにて両人涙をながし弓を地になげて、相ともに拝して、おのれの臂(ひじ)より血をいたして、誓いをなし 父子の契りをせし事あり。
互いに優劣なきあいてならば、太刀を一つ所に置いて礼をして退くべし。「把手共行山下路、眼頭各自見風烟」とは かかる風清をやいうべき。
兵法はここにおいてつきぬ。
愚夫 この次第を書き述べて、或る時老父面前にささげぬれば、老父これを見て云う、柴之閑言語、一炬に灰となして後来れ、汝をゆるさんと、我驚愕して退く。ひとりの禅師の所に至てかたるに、禅師の云う、老父の言、実に西江水を一口に吸い尽くして、徹底乾者乎、是為汝之印可なりといえり。
われ禅師の語を聞きて胸中の物を去りて、他日必我無病の兵法と成るべしと頼みあり。仍記之。
寛永十四 丁丑 年初秋吉辰
上泉武蔵守 藤原秀綱
柳生但馬守 平 宗厳
同的子但馬守 平 宗矩
同的孫七郎 平 三厳
愚息七郎、嚮捧兵法之一巻
恵云一炬焼却去、重捧来、今
加筆以印可云、是牽車推
車、只欲車之行ため也。
寛永拾四年 丑 十一月吉日
宗矩
*飛衛の物語は中国の古典ですが、日本ペンクラブの電子文藝館に、中島 敦の「名人伝」が掲載されています。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/novel/nakajimaatsushi.html
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■原文(底本)変更無しのものも掲載します
昔飛衛といふ者あり。よく弓射る事を得たり。紀昌射を学ひんとこふ時に、飛衛かいはく、汝射を学ひんとおもはゝ先よく瞬をさる事をまなふへしよくしまなひえて後我にいふへしと也。
紀昌か此またゝきせさる事を二年学しかは、ましりへ錐をうてともましろかす。さて飛衛にかくといひけれは、飛衛又いはく、物のいたりてちいさきをすく大に見る術を学ひて後我にいふへしとあれは、紀昌一つの虱(しらみ)を髪の毛にてくゝり、是を窓にかけて十日計見けれは、かにのことく見ゆる。三年かかる事をしけれは、後虱車輪のことく見えたり。其外の物はいふにおよはす、大かたの物の小なるは丘や山などの様に紀昌か目には見えぬる。かくて此よしをいひけれは、飛衛その時射法を教し程に、後窓にかけし虱のまむなか射切て残りは猶窓にかゝりて有しと云事あり。
物事を精しく稽古せむ人は、先、よろつの道に、初学に入てまなふへき次第をよく窮めならふへきにや。又ならふといえ共身によく熟せされは、口にいう事はたかはされとも、そのわさを其身になすに及ては、おもひのまゝならす。又、習いのままにする事は有れと、習の外へふみ出て、打つうたれつする時は、習の分限はみないくつともなく成て、習なき者にもうたれつなとして、言には似ぬよと人にあさけりをとる。よろつの道は初心に立かへりてよく稽古するにあり。弓射る者は的にあてむとおもはすして、唯身つくりよくかたちおして、かつて定りぬれは、後は的にもよくあたるとか。太刀つかふ事も、身つくりをよくつかむかためて、よるののねさめにつつ立て、つかふとも身つくりみたれぬならは、習をすてゝ無手にたゝきあへとも、我刀は人にあたるへし。人の刀は我にあたるへからす。身つくりかたまらすは、定りたる手をつかう時は ちかふへからす。習をすてゝ飛はね跳あかり、自身をせむとせは、身つくり皆みたれて、人にうたるへし。その身作よくかためむ事は、三学・九ヶなといえる数の太刀を、明暮初心に成てつかふへし。笛吹事を教へし人に三年、ねとり一つふかせしとなり。次第よくかたまらすは、極意秘事向上の事を聞たりとも、口にいう事はしからん、所作にはかたからん。我祖父古但馬守宗厳従上泉武蔵守秀綱此道を相伝してより、其身一代深く修行して、心に得て是を手にする事、おそらくは、氷は水より成て、水よりもすさましき物歟。老父其伝を継て、若年より此道に心をつくし、太刀のみならす鑓長刀の類にいたるまて、兵道とさへいへは不聞といふ事なし。一代其身に得てつかふまつる事、又おそらくは藍より出て藍よりも青き物歟。しかも善知識にまみへ、数々の古則話頭を参し、一々皆その旨を得ては、是をわか兵法の機前にあて、心の転所とす。故禅話とも数句を注し、是を兵法の道に引なそらへたる事多。一家の書を作りて子孫に伝むとてあつめ、上巻を殺人刀と名付、下巻をは活人剣と名付。此上下は唯授一子の書也とて秘之。又進履橋と名付る一巻は、おもてとする書にて、門弟たる人、此巻の内の目録共習究たる人に、此巻を書て為門弟之験授る者也。此三巻に書述たるは、此道の諸道、或は長も或短も、をのれをのれの得たる道具たりとも、立相時に、太刀一つにて、兵法の心においては、はつるへからす。無刀と云事さへあれは、あいての持道具にはかゝはらす、かゝる秘伝ともみなつくせり。重畳せり。丁寧なり。上泉武蔵守より三代なり。我其流の末に生れて身器にあたゝす、修行功うすし。此道に付て何をかいはむ。愚夫故ありて東公を退て、素生の国に引籠もぬれは、君の左右をはなれたてまつりて、世を心のまゝに逍遥すへきは、礼儀もかけ、天道もいかゝと存すれは、めくるとし十二年は故郷を出す。何の道にか心をいさゝかもなくさめむそなれは、家とする道なれは、明くれ兵法の事を案し、同名の飛衛披官の者とも、是等にうち太刀させ所作をして見るに、身不自由にして思うまゝならぬ事のみなり。うつりやすき年月の数積り、とかうしける程に、打は心の道に入るように覚えぬ。爰においておもふ事あり。兵法の習数々ありといへとも、つかふ時は其数々を皆々一度に用としもなし。
たとえは、工のあまた道具はあれと、つかふ時は一ツ一ツならては用いす。あまたの道具を二手に持てつかふ事なし。しかりとてまた、数の道具なくてもなるへきにあらす。一つのすみかねといふ事ありて、是を目付として道具をもつかうたる物也。一つ手に錐・鋸・鑿・槌をあつめ持てつかふ物にあらす。用にあたりたる道具一ツ見、見るところの縄墨はいつとてもすてられさる事也。兵法も数々の習はあれと、一々の習を一度に用る事なし。時にあたって用る所はかはれとも、一ツの見之所は常にはすれすして、工の縄墨のことし。爰を以て数々の習をよせて三段となして、其第一には見、その第二には機、その第三には躰とす。
第一段 見
二星 色 十字手裏見
有無 空 棒心
第二段 機
就色[敵にある色也] 随色[敵の色に我したかう也]
起醒 二目遣 水月
表裏 機前 懸待
第三段 躰
五ヶ 思無邪 神妙剣
去病 西江水躰と心は一ツ也。躰のなす所は心のなす所也。心をすてゝは、躰はたらかす、心と躰と一つなれは、所作たかふ事なし。
右
三段の内第一は、敵のはたらきを一筋に見る也。見ると云も敵をこちらからはたらかせ、うこかせて見た物也。然者、敵をうこかする仕懸は皆我機の仕懸に依て敵はうこく也。うこくを見る時は、見は機にあり。爰をもつて見は、機におさめて機を管要とする也。然者第二の機に依て敵のうこきを見るに、又みる所に心かとまれは所作にまくる程に、心の着をさり、諸病をさりきって心を無病になし、心躰ともに思無邪と観し、神を神所にすへ、神妙剣の位をたゝしくし、心を西江水におさめて第一、第二を一ツになして、第三の躰へこめて躰の内に、又数々あれとも西江水一ツになして、西江水より機へ出て、機より見へ出て、又見より機にかへり躰にかへつて、出入り自自を得へし。千手、万手、大機、大用なとゝ云も、皆爰より取て出たる者也。数々の習を躰の所へこめて、又躰を西江水におとし入て、是を是極一刀と秘する也。此一刀は刃なくしてよく物をきる。此一刀を以て、はらりとすかるを一捨といふ。悪を一捨して西江水一ツに帰せは、此一ツにや、又とまらん。是によって爰を又一捨と心得る也。此一捨は西江水の一をも捨ると口伝すへし。捨といへば捨にとまる程に、わするゝと口伝すへし。わするゝといへは、初心の人の習得さる道をわするゝに似たり。至り至りての位也。又わすれんとおもふたらはおかしき事也。おぼようおぼようとすれは、後にわするゝなり。わすれんとおもふたらは得わすれまひと心得へし。古句云「三段不同 収帰上科」
今此兵法も三段なれとも躰を上科とす。躰と心とは一ツなり。躰にある心なり。心によってはたらく躰也。見とはみる也。みるは眼の能也。眼は躰なり。躰あれとも死人は物を見す。たゝ心あってみる程に、躰といへとも心也。
機といふも躰を以てしたる物也。躰ありても死人はわさをなさす。心のなすわさ也。然者機と云も心なり。爰を以て心を上科とし、所作の本とす。此心を大事とす。或人或人に問ていわく至極の習をつくして無所残、秘事秘伝をつくしたる人、敵身方とも竹をふたつにわりたることくなる人の、立相に勝へき習ありや。機をしかくるとも互にのるまし、表裏のしかけも互にしりたる道ならはのるまし、是をかたむ事いかゝそや。こたえていはく、さき立たる者勝可。又我さき立事を心にかけは、人も心にかくへし。其さき立事我にあらんか人にあらんかの事不定也。決定して我に勝のあらん事此習ありや。こたへて云、習あり。又同その習いをも人すてにしらはいかゝ勝へき。此問答終にきはまらす。爰におひて我語ていはく、彼紀昌といつし者飛衛に射法を伝て、天下に我に敵する者なし、飛衛をさえころしたらは、天下我一人なりとおもひ、是を殺さむとはかる。さるひろき野に行相たり。
爰こそ得たる所よとて、紀昌よつ引て射る。又飛衛も互に射るに、双方の矢中にてあたり地に落て塵もうこかす。然るに飛衛か矢つきたり、紀昌か矢は一筋残たり。紀昌是を射るに、飛衛棘のはりのとかりにて、さゝえとめて矢は地落たり。
爰にて両人涙をなかし弓を地になけて、相ともに拝して、おのれの臂より血をいたして、ちかひをなし父子の契りをせし事あり。 互に優劣なきあいてならは、太刀を一所に置て礼をして退べし。「把手共行山下路、眼頭各自見風烟」とはかゝる風清をやいうべき。兵法は爰においてつきぬ。愚夫此次第を書述て、或時老父面前にささけぬれは、老父これを見て云、柴之閑言語、一炬に灰となして後来れ、汝をゆるさんと、我驚愕して退く。ひとりの禅師の所に至てかたるに、禅師の云、老父の言、実に西江水を一口に吸尽して、徹底乾者乎、是為汝之印可なりといえり。
吾禅師の語を聞て胸中の物を去りて、他日必我無病の兵法と成るへしと頼みあり。仍記之。
寛永十四 丁丑 年初秋吉辰
上泉武蔵守 藤原秀綱
柳生但馬守 平 宗厳
同的子但馬守 平 宗矩
同的孫七郎 平 三厳
愚息七郎、嚮捧兵法之一巻
恵云一炬焼却去、重捧来、今
加筆以印可云、是牽車推
車、只欲車之行ため也。
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