守破離 SHUHARI シュハリ一、兵法書研究二、武術稀少書三、武術系古本四、ご注文・お問合せ五、当サイトについて

一. 兵法書研究

このコーナーでは、古伝の兵法書・武術書をアップしていきます。
個人的に武術の古伝書を理解したいという気持ちから掲載していくのですが、
意訳文は作れませんので、適宜読みやすく現代風に直すことと、
分かりにくい言葉については解説を入れることで進めていきたいと思います。

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1018 月の抄 1/7
柳生十兵衛三厳(1607-1650)
柳生十兵衛三厳の代表作。流祖上泉伊勢守、祖父宗厳、父宗矩、十兵衛へと続く新陰流の集大成といえる名著。
長いので7分割して掲載します。まず1回目。

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1017 当流の兵法  行川の流
柳生十兵衛三厳(1607-1650)
江戸柳生の雄、柳生十兵衛三厳の兵法書「当流の兵法」と、「行川の流」の二種です。両方とも短く簡潔に、父宗矩から伝わる新陰流の要諦を著していると思います。

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1016 剣術秘傳獨修行
セン園
この書は、セン園(センは草冠ににんべんに青、文字が無いためカタカナ表記)が書いたものですが、セン園についての詳細はわかっていません。ただ自身の経歴を載せたところに、“幼少より武芸を好んで日夜忘れることはなかったが、家が貧しかったため学ぶことができなかった。むなしく時は過ぎていったが、中年の頃、人の教えにしたがってひとり修行を思い立ち、すこしその通を得たように思うが、時はすぐに過ぎてしまって今年で七十二歳になってしまった。 後略”のような文があることから、師について修行したのではなく、自分の工夫のみで稽古に励んだ人であったと思われます。そのためか、大局的な視点があるように感じられます。
現代語訳あり。

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1015 藝術二葉始
古萱軒緑水
佚斎樗山子の「天狗藝術論」の約六十年後に書かれた書です。「天狗藝術論」に対して大きな敬意を払いつつ、理については細やかなのにワザのことは詳しく書いてないため初心者が読むと理ばかり先行してかえって迷ってしまうことを懸念し、再度天狗に登場を願い、初学のあるべき心構えについて説いてもらう形をとっています。著者の古萱軒緑水という人物については、詳細は分かっていませんが文中の言葉から京八流の流れを汲むものと推察されています。

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1014 悒貫書
上泉伊勢守(1508-1577)
新陰流兵法流祖であり、日本の剣術発展に最も影響を与えたといっても過言ではない剣聖・上泉伊勢守。彼がのこしたこの兵法書には、初心から上手まで、心に刻むべき兵法の大切な心構えが詳しく記されています。第一から第三十九まで。年月日不記。

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1013 宗厳兵法百首
柳生石舟齋宗厳(1529-1606)
柳生石舟斎宗厳は、新陰流流祖上泉信綱より「一国一人」の印可皆伝を受けた新陰流正統二世であり、また、柳生氏中興の祖です。宗厳の百首は数種あるといわれていますが、これは宗厳七十三歳の時のものです。

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1012 兵法目録 
柳生十兵衛三厳(1607-1650)
父宗矩の「兵法截相心持之事」や「玉成集第三集」とほぼ同じ内容のもので、まとめ直したもののようです。新陰流の大切な心構えが一通り述べられています。技法について一部同じ十兵衛が著した「武蔵野」より転記しています。

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1011 昔飛衛といふものあり
柳生十兵衛三厳(1607-1650)
徳川家光の勘気にふれて致仕し、二十歳から十二年間にわたって稽古三昧の暮らしを送った十兵衛三厳の、兵法の工夫研究のまとめとして筆にあらわした処女作。この後有名な大著「月の抄」を書いています。十兵衛は柳生一門ではもっとも多く兵法書を残しているといわれますが、一番最初のこの「飛衛」は、父宗矩に一度は焼き捨ててしまえと叱られながら、沢庵禅師に校閲加筆を乞い、再提出してゆるされたものといわれます。

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1010 連也翁七ヶ条  連也翁七ヶ条(長岡房成)
柳生連也齋厳包(1625-1694) 長岡房成(1761-1847)
尾張柳生の雄 新陰流正統第五世 柳生連也斎厳包(れんやさいとしかね)が新陰流の要諦を簡潔にあらわした連也翁七ヶ条と、後代柳生新陰流に試合勢法を取り入れた長岡房成がその解説をしたもの。
連也齋厳包は尾張柳生の麒麟児といわれ、その才は父(兵庫助利厳) をも凌ぐとさえいわれた天才兵法家で、また生涯妻妾を持たず、質実な暮らしを好み、剣禅一致の人であったといわれます。

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1009 猫の妙術(加藤咄堂著「剣客禅話」より)

佚斎樗山子(1659-1741)
本書は「田舎荘子」の中の一章で、猫が大ネズミを捕まえる話を通して武術に大切なもの、心法の部分まで説いている有名な寓話です。加藤咄堂氏の解説が入っています。

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1008 一刀流聞書(高野佐三郎著「剣道」より)
高野苗正(みつまさ・高野佐三郎の祖父)
箇条書きで、全92もの稽古上の注意点を様々な比喩や具体的な方法論で列挙してあり、非常に奥深い書です。最後のものは「忠太先生いう、子供が井戸の傍にて遊び居り もしその子が井戸に落ちんとするを見れば、誰にてもあっと思わぬものなし。勝負はそこの所が肝腎と申され候。面白し面白し、意味深し。」

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1007 名家至妙鈔 
達人、名人のエピソード集。
山岡鐵舟、千葉周作、塚原ト傳、柳生但馬守宗矩、宮本武蔵、荒木又右衛門、樋口十三郎、林田左門、神谷傳心齋、浅田九郎兵衛、柳生十兵衛三厳

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1006 剣道講話 
根岸信五郎
根岸信五郎は神道無念流第六代で、有心館を起こした明治の剣道界の重鎮であり、中山博道の師でもあります。神道無念流は幕末の三大流派の一つであった練兵館・齋藤弥九朗の流派で、根岸信五郎はその跡を継いだ俊英です。剣道の稽古に対する心構え、技、気合いなどが分かりやすい言葉で詳細に語られています。幼い頃教わった柿本先生のお話で千葉栄次郎(千葉周作の二代目)との試合のことなど、興味の湧く話もあります。

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1005 剣術極意(千葉周作遺稿「剣法秘訣」より)
三木啓次郎(千葉周作 1794-1855)
本書は北辰一刀流尚武館長・旧水戸藩士三木啓次郎氏が、千葉周作より直伝の北辰一刀流の極意を上梓した「剣法秘訣」より抜き出したしたものです。
「上達の場に至るに二道あり、理より入るものあり、業より入るものあり、いずれより入るもよしといえども、理より入るものは上達早く、業より入るものは、上達遅し、何となれば、理より入るものは、例えば向こう斯様するときは斯くせん、斯くせんときには斯様せん、斯く成りたるときには如何せんと、その理を様々に考え、工夫をこらして稽古するをいう。業より入るものは、左様の考えもなく、必死に骨折り、散々に打たれ突かれして後、妙所を覚えること故、上達の場に至るには大いに遅速あり、〜」など、興味深い内容が書かれています。

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1004 天狗藝術論(巻之四) 
佚斎樗山子(1659-1741)

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1003 天狗藝術論(巻之三) 
佚斎樗山子(1659-1741)

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1002 天狗藝術論(巻之二) 
佚斎樗山子(1659-1741)

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1001 天狗藝術論(巻之一) 
佚斎樗山子(1659-1741)
本書は「田舎荘子(猫の妙術)」で有名な佚斎樗山子の書で、藝術とは武術のことです。天狗たちが剣術の要諦について語り合います。

 


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